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『シリアル・ママ』のレビューの冒頭で、柳下毅一郎は「殺人はアメリカの娯楽だ」と述べている。
既に使い古された感もあるかもしれないけれど、納得がいく。 しかし、程度の差こそあれ、状況は日本でも同じ。 実は手に取ったときには、『実話 怪奇譚』の表題に、「実話怪談」だとばかり思っていた。だが、読み進めるとそれらの話は少なく、殺人現場のルポや猟奇事件のルポがほとんどを占めている。 序文には「何よりそうした好奇心を満たすための道具なのだ」とあるとおり、「私たちの生にまつわる、得体の知れない恐怖を裏づけるもの」「ぼんやりした不安の具現化」としての猟奇への耐性を養い、「扇情的な事象に引かれながらも絶えず現実からの逃避を試みる」“病人”“負け犬”のための書となっている。 初出一覧を見ると、雑誌が主で、残りはムックと行ったところ。 事件への個々のアプローチは措くとして、この中で「昭和初期の魔窟をさまよう」と題して玉の井バラバラ事件を扱っている。言うまでもなく“バラバラ殺人”と名づけられた初めての事件である。 この中で、昭和七年三月九日の東京朝日新聞をひいて、当時の現場状況を記している。孫引きする。 「現場一帯は朝から黒山のごとき見物人群集し、ゆで玉子屋、おでん屋などが例によって際物商売をしている。」 さらに、江戸川乱歩、濱尾四郎、正木不知丘、森下雨村、牧逸馬etcが誌上に駆りだされ、事件を推理し、見解を述べていたことが分かる。 他にも、カストリ雑誌や新東宝・大蔵映画、昨今の実話系コンビニ雑誌など、その例は枚挙にいとまがないだろう。 実のところ、最近でも渋谷区短大生遺体切断事件だとか、香川県坂出市殺人事件だとかに人々の耳目は向けられる。 特に後者は、被害者の親族がメディアの前にバンバン露出していたこともあり、カモネギとしか思わない、警察発表丸呑み、スポンサー様様のマスコミにとっては、極上のネタとして扱われていた。 松本サリン事件以降、報道姿勢への反省を自称してはいるものの、本当の問題は報道体制・体質のはずだ。それが改善されていないのだから、今回のような以前のままの体制・体質に薄い皮膜をかけただけの、みえみえの報道となる。 「犯人は誰でしょう?」といういつもの推理合戦(にわか探偵参加歓迎)も、デキレースを仕立て上げておいてコケるというヒドイものであったし、予想外の犯人逮捕後のゴタゴタも、遺体発見後の会見も下調べ不足からくる余韻で場にそぐわない質問がなされていた。 とまれ、「殺人はアメリカの娯楽」ではなく、「殺人の情報は人々の娯楽」ということだろう。 <追記> 本当に久々の読書日記。 それはさておき、本書は、猟奇事件の合間に、手首ラーメンや杉沢村といった都市伝説や映画評が入り混じっている。 この映画評がなかなか変わっていて、蜂巣敦という人物を表しているようないないような。紹介作品は『富江 アナザフェイス』『犬木加奈子World 亡霊の棲む家』『フリーズ・ミー』『籠女』『インアマゾン』。『亡霊の棲む家』『インアマゾン』は未見。 うむ、それにしても、『富江アナザフェイス』『籠女』のまともな評論は初めて読んだ気がする。 『富江アナザフェイス』の主演女優による異化効果の指摘はなるほどなと。随分前に一度観たきりなので、もう一度見直すか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年12月06日 23時51分09秒
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