|
カテゴリ:書籍
1540年代の南フランス・ラングドック地方から、一人の裕福な農民マルタン・ゲールが突然に妻子を捨て消息を断った。
いっときの後、1人の男が現れ、失踪して久しいマルタン・ゲールの名を名乗った。 ところが、その数年後、妻の継父との遺産を巡るゴタゴタ、放火の廉での投獄を経て、ついに妻は「その男は失踪した夫マルタンではない、詐欺師だ」と訴えるに至った。 しかし、偽マルタンは恐ろしく弁が立つうえ、驚異的な記憶力を備えていたのだ。 巧みな弁舌に翻弄される裁判所。もはや法廷は彼を本当のマルタンだと信じて疑わなかった。しかし、その時・・・。 副題にもあるように、ナタリー・Z・デーヴィス『帰ってきたマルタン・ゲール~16世紀フランスのにせ亭主騒動』はこの騒動について扱った歴史書である。 16世紀フランスの農村の様子や裁判の様子、その他周辺事情なども分かって面白い。 だが、ここではその方法論に注目したい。 訳者あとがきにもあるように、ミハイル・バフチーン、フィリップ・アリエスに続く第三波といえるかもしれない。 ここで歴史学の流れについて語るには紙枚が足りないが、訳者・成瀬駒男に従って記述すると、「新しい歴史学」は「長期的時間枠を用いて、歴史の中でゆっくりと変化するものを把握する研究」だった。 デーヴィスの方法論は丁度この心性史とは真逆で、「表現と行動の体系を微視的(ミクロ)に分析し、それらを集合心性を介して、経済的・宗教的・文化的諸条件によって規定された社会的結合体に結び付けようとする試み」と言える。 「辺境の微小部分に依拠して全体を」撃ちながら、当時のアイデンティティに迫ろうとする方法は、時代や偽マルタンに翻弄される無力な妻ではなく、偽マルタンだと分かった上で、村落での面体、将来の家・家族などを考慮し選択をした積極性を持った妻という像を描き出した。 本書には、カルロ・ギンズブルグの「証拠と可能性」と題された長文の解説が付いている。 そこで述べられているように、証拠(史料)に縛られることなく、そこから必然的に導き出される可能性により歴史叙述を紡いでいく。 もちろん、文化人類学の説(思想、イデオロギー)を無批判に歴史的事例に当てはめることを厳しく批判しているし、その事例がその時代に確立する条件や事例の方が説を修正しないかどうかに注意を向けるべきだとも、デーヴィスはしている。 かつて、呉智英が網野善彦の著作に対して、そこまできたのならあと一歩踏み出してもいいのではないかとの主旨の史料至上主義批判をし、民俗学者の大月隆寛が民俗学の立場から、ジャーナリズムにおける「事実」について吉田司などの著作を引きながら批評していた。 そういった学者的な硬直へ対する違和感からするとこの流れは当然のようにも思える。 反面、「可能性」の部分にカール・ポパーの反証可能性のような科学的思惟の方法論を盛り込んだり、厳正な論証の上での推論の過程を重視せねば、安易な方向へ転がる可能性もありうる。 ただ、そうなると厳密な学問の質の問題になるので、これは学者の資質の問題にすぎないとも言える。 「現実と可能性の統合」が如何に試みられていくのか、これからも見守る必要性があるのだろう。 特異な歴史学者・ヤーコプ・ブルクハルトは次のように述べている。 「私にとって背景が主要な関心事である。そしてそれは文明史によって与えられる。私はそれに身を捧げようと思う」 「直観から出発することができない場合、私はなにもしない」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年08月29日 02時24分07秒
コメント(0) | コメントを書く |
|