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カテゴリ:書籍
昨今は「ノロイ」が流行のせいか、どうにも「タタリ」は分が悪い。
実のところは、御霊信仰以降の祟りや感染呪術などがゴッチャになっている感は否めない。 ただ、語句の厳密さはさておき、両者ともに閉じた論理性、合理主義に貫かれている。つまり、厳格なルールに沿って支配されている。 トラディショナルな呪殺法「丑の刻参り」では、ワラ人形に五寸釘を打ち込むことで対象に呪いをかける(類感呪術。相手の体の一部を入れて呪う場合は、これに感染呪術が加わる。ただし、原型は自身が鬼になり相手を呪うための方法である。) 怨霊伝説の残る崇徳上皇は、保元の乱により讃岐に流され、都恋しの思いから、せめて写経だけでも京のお寺に奉納しようとしたところ、後白河法皇により「呪詛が込められている」として拒絶されたことで怒り狂い、その写経を引き裂き、魔王となり日本に災いをもたらそうと、髪も髭も爪も伸びるに任せ、自らの舌を噛み切った血で新たに大乗経を書きあげ絶命したという。 怨霊の祟りは凄まじく、如何に畏怖され、ことあるごとに人々の眼前に立ち現れてくるかは、この辺りを参考にしていただきたい。 さて、怨霊はたとえ鎮魂されようとも、時折りその存在を示すかのように、脅威・恐怖として我々の前に現れる。 奉られたところで、その恨みが治まることはない。 平将門、菅原道真、早良親王といった人物、高松塚古墳や野毛大塚古墳などの墓(墓を暴いたことによる祟りの話。エジプトのミイラ奇譚に近い。)、どれも歴史上有名な人物・モノだ。当然、市井に埋もれた無名の徒が祟っても、記録にも記憶にも限界がある。 しかし、ここに例外がいる。 それが「お岩」様だ。 お馴染み小池壮彦の『四谷怪談 祟りの正体』では、いつ「お岩の物語」は成立したのか?、『四谷怪談』成立の過程とは?、「お岩」とは誰なのか?、「四谷怪談」の意味は?、何故「四谷怪談」は力を失わないのか?などの疑問を追いつつ、左門町の路地を鬼女と化し駆け抜け、うやむやにかき消えた足跡を、そして、見えなくなってしまった闇へと分けいっていく。 だから、お岩稲荷の縁起や四谷怪談の実説について実証的に詰めていく史料考証と現代の怪奇譚・猟奇事件が交錯しながら、、我々の心の襞・深層へと「物語」は展開していくのだ。 相変わらず、その手際は巧いし、渉猟される文献に圧倒され、挿話の怖さも特級品だ。 お岩さんが何故祟るのか?何故怖いのか? この答えを明解に示してみせた希有な書なのである。 「四谷怪談」はこれからも増殖していく。 そして、私たちの恐怖への興味も決して尽きることはないのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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