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カテゴリ:書籍
その日も教授たちの講義をBGMに一冊書籍を読了してしまったので、いつものように某一流大学近くの古本屋へ寄った。
この古本屋では社会科学系の書籍ばかりを買っていたためか、店主に「OO教授のゼミの子?」と訊かれ、面白そうだったんでテキトーに「そうです」と答えてしまい、今更「違います」とも言えず、常に有耶無耶な回答を返す微妙な関係が続いていた。 さて、その日は以前から欲しかったアラン・ブルーム『アメリカン・マインドの終焉』を購入予定。ついでに新書の棚をボーッと眺めていると島田虔次『朱子学と陽明学』(岩波新書)を発見。 新刊書店になかったので小躍りして買う。 ない本は注文して取り寄せてもらっていたんですけど、確かこの頃この本は品切れだったかと。今は簡単に入手できます。 帰宅後、早速ページをめくると、小さな長方形の紙が扉部分にセロテープで貼ってあるのに気付く。そこにはこう書かれていた。 「ムズカシクテ ムズカシクテ トテモ理解デキマセン」 天動説から地動説への大転換をもたらしたコペルニクスの『天球の回転について』を、アーサー・ケストラーは『夢遊病者たち』で「実際には誰も読まなかった史上最悪のワーストセラー」と評している。 ところが、科学史家のオーウェン・ギンガリッチはある日手にした『回転について』に丹念な書き込みがなされているのを見つける。誰も読まなかったのは本当なのかと湧き起こる疑問を解消するために、世界各国に散らばる初版と第二版600冊の行方を求め、所在地へと赴き、その足跡を読者と書籍の中に見出した三十年間の軌跡。 『誰も読まなかったコペルニクス-科学革命をもたらした本をめぐる書誌学的冒険』は科学史を書誌学的視点からみたそんな好著。 稀覯本をめぐってディーラー、コレクター、書籍修繕者、司書、挙句の果てには盗人まで、さらには蔵書として所有していたであろう人物を推測してみたり、智の伝達ということまで考えさせられます。 余白にメモを書き込むというのでは、ディオファントスの『算術』にフェルマーが残したフェルマーの最終定理が知られていますね。 あちらはあちらで興味深いんでそのうち手を出したいなと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年04月13日 08時18分39秒
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