キルギス・カザフスタン旅行記#19-トクマクからチョンケミン渓谷へ
旅行期間:2015年7月3日目このあと、ホテルのあるチョンケミン渓谷へ向かいます。だいたい1時間半くらい。 トクマクの景色を眺めながら、世界遺産のブラナの塔があるベラサグンとスイアーブについて簡単に復習。=====ガイド=====アクベシム(スイアーブ)は中国語で砕葉または素葉と書き、名前はチュー川に由来していると言われている。もともとはシルクロードの3つの交易路として栄えたが、6世紀より前から町はあったとされている。その後突厥が都をかまえてから重要な都市になったが、679年唐によって占拠された。唐が衰退したあと、トルコ系の突騎施というものが占領し、西からくるイスラム勢力に対抗していた。そのあと遊牧民族のカルルクが台頭しベラサグンに機能が移り衰退してしまった。そのベラサグンはどこかというとブラナの塔があったあたり。車で10分くらいの近い所だが、スイアーブの東の端の辺りとベラサグンの西のあたりがちょうど同じところにあったと言われている。突厥とは、552年にジュウゼンという国の支配下から独立したトルコ系の遊牧民族。ジュウゼンというのがトルコ系かモンゴル系か定かではなく、初のトルコ系の国家とされている。突厥とはテュルクを中国語で書いたもの。最初にササン朝ペルシアと協力してここにあったエフタルという国を滅ぼして、西はカスピ海、東はモンゴルの方と巨大な帝国になっていったが、広すぎたせいで583年、30年ばかりで国が東西に分裂した。そして主な都市としてスイアーブが栄えて玄奘三蔵も立ち寄った。そのころはヤブグカガン王が統治していたが一番の最盛期だった。ベラサグンとスイアーブの地理だが、唐の地理学者によると、ベラサグンはスイアーブの東12キロ、イシク・クルの西20キロにあると記載されている。================つづきを読む » (新ブログへ)