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[ふかしぎ光山愚静庵] カテゴリの記事

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  ぶつぶつ念仏

  　　　　一度断食というものをやってみたかった。おまけに沈黙という得難い経験もできる。２月に参加した小食念仏道場が実に良かったからと、迷わずに参加した愚静庵の沈黙断食道場だった。ところがふたを開けてびっくり。ほとんど一日中念仏と瞑想の繰り返しで、静養気分でなんとなく描いていた内容と大きなずれがあった。　初日にして、「こんなことやめて帰ろう」と思いはじめた。何時間も声を出して念仏を唱え、なにが沈黙だ。これじゃ修行だ。修行は好みじゃない。静かに座るための瞑想の時間だろうに、ぼくの心と頭の中はグルグルと不平不満の渦がさかまいた。ああ、いやだ。ほんとにいやだ。　そこに現れたのが、比叡山千日回峰行を２度までも満行された酒井雄哉大阿闍梨の姿だった。お会いしたこともなければていねいに著作を読んだこともないのに、なぜだか比叡山を歩いている様子が浮かんできた。「なんのために歩いているのか」。死をも覚悟した行を続けながら何度迷われたことだろう。単純なぼくだ。「阿闍梨さんの過酷な行に比べたら、こんな道場、屁でもない」と思い直していた。　４人の参加者のうち２人が体調をくずして、何日かはタカちゃんとぼくだけになった。正座や結跏趺坐などできないぼくは長い時間姿勢を保つのさえ苦労したが、それは若いタカちゃんも同じようで、たまに足を伸ばしたり背中を叩いたりしていた。ぼくはぼくで、念仏のリズムに合わせながら得意の背骨ゆらし。まったく行とも言えない、滑稽な行の姿だ。　ああ、もうだめだ。体力気力ともに果てそうになる度、タカちゃんがシャキッと座り直して、姿勢を正し合掌した。それを見て、ぼくもまた立ち上がれた。娘ほどの世代だろうに、大したもんだ。弥山堂から見えるふかしぎ光山に向かって、ふたりで手を合わせながら想像した。タカちゃんとぼくは同じ星からやってきた同士なんだ。いまふるさとの星では大変な紛争が起きている。ふたりで並んで祈りながら、それを鎮めているところなんだ。面白くもない念仏の時間は、ぼくの想像をふくらませる愉快な時間にもなった。　こうしてなんとか、１週間の道場を乗り切った。まったく、ようやく乗り切った。「少し念仏と瞑想の時間を減らしてほしい」と願い出て、完璧にやり遂げたわけではないんだから、乗り切ったとはお世辞にも言えないかもしれないが、それでも時々の助けがあり、それぞれに得るものがあるんだから、互いに影響しあう人生とはほんとに不思議なもんだと感じてしまう。　　

  Nov 23, 2007

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  きらきらと、くるくると

  　　　　４畳半にも満たない弥山堂の空間に４人がすわり、念仏と瞑想を繰り返していた。静かな時間が流れている。ただ、見えないけれどぼくの中ではざわざわと、こんな時間、早く終わらないかなと騒いでいる。突然ごう音とともに強い風が吹いた。目を開けた。開けて、驚いた。何万枚もの葉っぱが青い宙を舞っているのだ。きらきらと、くるくると、輝きながら。３枚のガラス戸越しに、それは信じがたいほど神々しい絵のようだった。数分もその絵は続いた。ひらひらと、はらはらと、降りてくるようだ。あれらはきっと、落ち葉とは呼ばない。黄色や橙色にひかりかがやく天使にちがいない。ざわめく心でしか座れないぼくだとしても、それでもいいのだと、天使たちがささやきかけていた。　　

  Nov 22, 2007

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  こんなもんじゃ

  　　　　かさかさになりし心の真ん中へどんぐりの実を落としてみたり　約束があって生まれて来たような気持ちになって火を吹き起こす　埋没の精神ですよゆったりと糸瓜は蔓にぶらさがる　　愚静庵の本棚には、庵主の静栖さんの蔵書なのか何冊もの心惹かれる本たちが並んでいる。一日中念仏や瞑想を繰り返す日程の中でゆっくりと手に取る時間はなかったが、その中の山崎方代『こんなもんじゃ』が目にとまった。表紙のイラストが好みだったからだが、帯には「妻子がなくても寂しくない、地位も名誉も欲しくない、金がなくても不満はない」というのに添え「方代さんふうに生きてみませんか」などと書いてあって、中をのぞきたくなった。　方代さんは昭和の歌人。戦争で右目を失明、左目の視力は0.01となる。生涯独身、定職を持たず、世話する方の敷地内で小屋のようなところに住んだ人。ネットで調べると、放浪の歌人、異端の歌人、奇行が多くたわいもない嘘をつき続けた伝説的歌人という形容があちこちに見られる。1985年に亡くなった。　　いつまでも転んでいるといつまでもそのまま転んで暮らしたくなる　洗面をおこたりおれば眼のへりのあたりに青いカビが生えてきた　冷えて来てねむれないので風呂敷をかむりて顔をくるんでしまう　帯の言葉がもどってきた。「方代さんふうに生きてみませんか」、とは、どういう意味だろう。なになにふうに、という場合、それはスタイルを真似することか、それとも心持ちを合わせることか、などと考えてみたが、方代さんふうに生きられるはずなんかないじゃないかと思ってしまう。方代さんが亡くなった20年ほど前は、いまと大して変わらずあくせくとせちがらく、ばたばたと慌ただしく世間の時間は過ぎていただろうに、そこに居て、呼吸して、茶をすすり、眠り、歌い、好き放題に死んでゆくなど、簡単な話ではなかっただろう。それは方代さんしかできなかった人生だ、心だけ方代さんふう、などあり得ない、と決めつけた。　　卓袱台の上の土瓶に心中をうちあけてより楽になりたり　ときのまに死ねば死ねると云うことのかかるおごりを持ってぞ生くる　このようになまけていても人生にもっとも近く詩を書いている　ああ、また念仏と瞑想の時間だ。早朝の４時にはじまり就寝の８時まで、一日の10時間あまりを仏の前に座って過ごしている。ここは自ら選んで来た場所だ。それなのに強制されて座っているような辛さを感じつづけている。瞑想とは内側を見つめるためにあるだろう。それなのに外の環境ばかりに気を奪われている。ぼくは「いつまでもそのまま転んで暮らしたくなる」。神に願わなくても、転んだままで、いいではないか。　

  Nov 20, 2007

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  汁椀の風景

  　　　　汁椀に茶を注ぎ、すすりながら、小食のあとの静かなときを楽しんだ。断食を終えて、あったかな11月の陽に包まれているのは、至福に値するというものだ。揺れる茶に、空の青が映っている。手前のゴツゴツとしたものはなんだ、と一瞬凝視した。なぁんだ、この顔かぁ。こんなふうに見上げるような角度の自分を知らなかった。テカテカと光る額は岩だ。奥まった眼窩は岩陰になり、そこから眉毛がひょろひょろと伸びてまるで水がなくても育つ不気味な植物に見えてきた。無骨な風景だ。美しいという形容からはおよそほど遠いけれど、たくましい。力を感じた。見ていて飽きない。飽かずに見ていると、いつか行ってみたいと思っているセドナが浮かんできた。きっとこういう風景が広がっているんだ。青の空に突き出た岩、岩。その狭間でぼくは、乾いた大地に寝っ転がって、見上げている。そのとき、どんな気分なんだろう。地球なんて汁椀みたいなもんだ、なんて笑いながら、断食道場をなつかしく思い出しているのかもしれないな。　　

  Nov 19, 2007

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  道半ば

  　念仏道場への参加者はぼくを含めてわずかに３人だった。「こんなに少ない道場も珍しい。でもそれがまた良い。結局多ければ多いなりに、少なければ少ないなりに良いんです」と言って品愚上人は笑った。もっとも定員が７人程度だから半数近くに達したことにはなる。他にお寺に身を寄せるスタッフが２人、それに上人と愚静庵を預る静栖さんを合わせて、今回は総勢７人の家族的な雰囲気の中での１週間だった。　そして奇遇とはこういうことを言うのだろうか。４人もの同い年がいた。いくつか年上の人生の先輩方に囲まれて、ぼくはまるで末っ子の気分でもあった。「お寺は本来、駆け込み寺であるべきだ」と上人が言われるように、本應寺に身を寄せたおふたりもこの道場に参加したぼくたちも、ここにいることにそれぞれ何らかの理由と経緯があった。　人生とは不思議なものだ。順風満帆で意気揚々と無限の可能性を感じながら大海を進んでいる時期もあれば、座礁したり船が壊れて沈みがちな時もある。最近は港を出たばかりの小舟がそのまま沈没してしまうようなニュースが多くて悲しくなるが、何かにつまずき立ち止まっているこの道場での姿をぼくはとても美しいと思った。人生まっしぐらもいいが、一休みして足元に生えている草花を見つめてみたりすると、その時にしか感じることのできない心の豊かさというものがあるような気がする。　リュウさんは小さな広告プロダクションの社長だった。手がけたTVコマーシャルの話やロケ先でのエピソードなどをうれしそうに話されるの聞くのは、ぼくの楽しみにもなった。それが一転してしまう。あるフィルム会社の焼け跡から見つかった貴重な作品群を保存しようと情熱を感じて立ち上がったリュウさんだったが、それがきっかけとなり仕事の流れが傾き出す。気がつけば友人が心配するほどの鬱状態になっていた。　道場の半ば、あったかな日差しの下で、リュウさんは小さくて細い大根を洗っていた。一本一本、とてもていねいに洗っていた。世に踊り出ていた頃の姿を想像することなどとても出来なかったが、誠実さを表した少しうつむき加減のその姿勢をぼくは広い桟敷の縁で昼寝をしながら眺めていた。大根は光を浴びてとてもきれいだった。　縁は異なもの、味なもの。リュウさんと交わすひと言ふた言の会話に、ぼくはそんなことを感じていた。リュウさんがぼくに何を感じてくれたかは分からないが、ぼくはリュウさんから人には測り知れないほどの豊かさと深さがあることを教えてもらった。きっとそれは社長だった頃のリュウさんからでは感じることはできなかったかも知れない。　大根は葉っぱも刻まれ味噌汁の具となった。少しずつ口に入れゆっくりと何度も噛んだ味を、ぼくは生涯忘れることはないだろう。それは波乱に富んだ人生が醸し出す道半ばの滋味にあふれていた。　

  Mar 10, 2007

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  再会

  　突然、忘れていた冬が戻ってきた。これくらい雪が降らないと、やっぱり北陸人のぼくは納得できない。これで満足して春を迎えることができると言うもんだ。でもお天気って、本当にコロコロと変化する。まるでぼくの心模様とおんなじだ。　突然、消えたはずの寂しさが戻って来た。この世には残された人が生きている。悶々として生きている。ぼくもあと何年か、何十年かこうして生きるのだろうか。明日死んでも後悔しない生き方をしているだろうか。天と地とに別れ離れてしまった真の友を想いながら、寂しさの入り交じったこの世の不思議を感じている。　愚静庵での小食念仏道場の最後になって、ぼくはユコタンと再会した。それを期待していたわけではなかったが、道場に参加することを決めた時、それが心の中のひとつの区切りになることをなぜか知っていた。　品愚上人の最後の法話で、親鸞上人の言葉が紹介された。念仏は心を込めたものでも、砂を噛むようなものでも、功徳は同じ。南無阿弥陀仏を唱える念仏の言霊が仏の光を導いてくれるそうだ。　ぼくはその話を聞いて少し驚いた。勤行のひとときに、目の前の阿弥陀仏より降り注いでくる光を本当に感じていたからだ。神々しい光に包まれて、ぼくは深い至福を味わっていた。すぐに正座の足がしびれて崩してしまう、まったく芯の通っていないぼくの念仏でも通じたのだろうか。　その後の瞑想でのことだった。閉じていた目の中に突然赤く小さなスクリーンが現れ、そこに大粒の涙を浮かべた女性が浮かび上がった。あまりにアップ過ぎて表情まで感じ取ることはできなかったが、ぼくにはそれがユコタンだとすぐにわかった。その直後にユコタンはさっとキリストの顔に変わった。そしてキリストも一瞬にして消えて行った。　星のきらめきのようにあまりに短い再会だったが、ぼくの心はとても満ち足りていた。天と地とに離ればなれになってしまった友は確かに今も、いや、きっと永遠に生き続けていることを教えに来てくれたのだ。透明な大粒の涙の訳は今はまだわからないが、天上のユコタンはキリストと親しくなったのかも知れない。ぼくは大きな安心に包まれた。ユコタンもぼくも含めてこの宇宙のすべての存在は、こうして大いなる源の懐で抱かれ守られているのだと、確かなこととして信頼することができた。　そして、心はやっぱりコロコロと変わるのだった。このページへのお話をまとめながら、ぼくの心はすっかり落ち着いている。あの再会以来、ユコタンにはまだ会っていない。だが意識を向ければその柔らかなエネルギーをいつも感じることができる。安心のエネルギーに包まれて、ぼくの心は明日もまたコロコロと変わるのだろうが。

  Mar 7, 2007

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  弥山堂の夜

  　愚静庵の敷地には林道沿いに小さな祠のような建物がある。弥山堂、と品愚上人の手で書かれた看板が軒下に掛かっている。窓ガラス越しに中をのぞくと奥から掛け軸の観音様と小さな阿弥陀像がぼくを見返すように鎮座していた。宿泊にも使うそうだが瞑想にも打ってつけの小部屋で、すっかりぼくのお気に入りになった。　ケイタイの時計を見ると、まだ夜中の２時半だった。目覚めた時が起きる時。もう何年も前に整体の師から二度寝は後頭部が緩んでやがて変調を来すと聞いて、それ以来いつもそのまま起きることにしているが、さすがに寒い山里のこの時刻。一瞬迷ったが、そうだ弥山堂だとひらめいてベッドを抜け出した。相部屋のふたりが起きないようにもちろん忍び足で。何かに呼ばれているような気がして、心が少し踊っていた。　覚えたばかりの唱え方で念仏をしばらくぶつぶつ。静まり返った愚静庵にまで届くのではないかとも思ったが、興に乗って声が大きくなる。暗い部屋にロウソクの灯で浮かぶ観音様はいっそう優しく見えた。安心して静かに坐った。天上の人となったユコタンを想い、心で祈った。「どうぞこれからも共に手を取り、ひかりっ子くらぶを続けさせてください」と。　前日から凝りを感じていた肩甲骨の辺りがまた痛み出した。背骨を揺らしてほぐそうとするがますます痛い。諦めて静寂に集中し出した時だ。痛いその部分が盛り上がってきた。と、もちろんそんな感覚になったというだけだが、何かが生えて伸びて行く。実際に重さを感じて、背中の付け根に負担がかかっている。そうかこれは羽根だなと納得した。ぼくのささやかな願いは届いたのかも知れない。　すっかり安心しきって、坐り続けた。張りつめた冷気の中にも柔らかなものを感じる。心が微笑んでいる。それがなぜだかすぐにわかった。葬儀の時に離れているぼくを包んでくれた、あの柔らかなエネルギーとそれは同じものだった。「ユコタン。ありがとう」。でもわざわざ言葉にする必要もなく、心は自ずと開いて豊かで深い感謝に包まれた。　ぼくはあの時、見えない世界とつながっていたのかも知れない。身体の感覚も、心の豊かさも、日常にはない体験だった。確かな根拠など必要ない。これまでもずっとそうしてきたように、ぼくはぼくの感覚に素直でいよう。人は本当に見えない世界からこの見える世に生まれ、また還って行く存在なのだ。ひかりっ子くらぶでユコタンと語り合った世界は本物なんだと、それがぼくの中に確かなものとして根づいた瞬間だった。　今朝もまた柔らかなものが包んでいてくれるのを感じる。包むと言うよりも、ぼくと重なっている感じかも知れない。もうそこに境目など設けることはない。ただただ感じるままに。ユコタンだけではなく、見えない大勢の仲間が共に存在しているような気がするほどに混沌として、ぼくを創っている。　

  Mar 4, 2007

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  掃除の心

  　ユコタンの三月目の命日だった27日のことを忘れない。ぼくは久しぶりに不機嫌になった。ヨシエどんとのやりとりの中で昔ながらの自分勝手な思いが出たというだけだが、自分の尺度で相手を見るというぼくらしい横柄なわがままぶりが復活したようだ。翌日もまた同じような経験をした。どうしたことだ。自分の中に少し元気が出てきたのかなと、これまた勝手な解釈をした。そしてぼくは、そんな自分をも嫌うことなくただ受け入れてあげればいいのだということを知っている。　小食念仏道場の2日目から最後まで、便所掃除はぼくの係になった。口に出さなかったがずっとそれもいいなと思ったら、自然にそうなってしまった。阿弥陀様はどうやらどんなにささやかな希望にも力を貸してくれるようだ。　会場の愚静庵は10年ほども前に建ったそうだが、掃除が行き届いていてとてもきれいだ。トイレの隅々まで埃ひとつなかった。なんだか張り合いがない。サッシの桟の溝にたまった汚れを見つけたときは、思わずやったぁと喜んだほどだ。汚れを見つける幸運に恵まれたようでうれしかった。ゆったりとていねいに暮らしていると、こんなことにさえ喜びを感じるのかとそれも愉快だった。そして気づいた。　膝をついて雑巾がけをしているぼくの姿に気づいた。掃除をしているぼくではなく、ぼくを生きている何か他の存在がぼくの姿に鮮やかに気づいた。大したことでもないだろうが、ぼくにはそれは明らかに、静かで深い喜びだった。サッシの汚れを見つけた以上の喜びだった。内なる存在を確かに知るには今のぼくでは力不足だろうが、きっとこれがその感触のひとつなんだと思った。　掃除をしながら、同じように家のトイレを掃除しているおふくろのことを想った。毎朝7時に正確にそれは始まる。「ありがとう」と見かけたときは声をかけるぼくだったが、おふくろがどんな思いで掃除しているのか考えたことはなかった。　ヨシエどんのことも思い出した。「きょうの事務所の中、気づいた？　きれいだったでしょ？」。「え？　そっかぁ？」。ぼくはいつもこんな調子だった。ヨシエどんがどんな気持ちで広いスペースに掃除機をかけ床を拭いてくれているのか、深く考えたことはなかった。　人はなんとなく生きているのでは、決してない。ひとつひとつの動作に必ずなんらかの心が伴っているのだと思った。ぼくは掃除をしながらもうひとりの自分らしきものに気づいた。おふくろは、「掃除をしていると息子が優しくなる」とでも思っているかも知れない。ヨシエどんは、「愛する夫の仕事場だもん、たまにはきれいにして喜んでもらおう」と一生懸命だったかも知れない。　掃除ひとつのなんと奥深いことか。最後に備え付けの線香に火をつけて、便所のドアを閉めた。ここは本当の自分に気づける聖なる場所なのだ。ぼくを生きている本当の自分が存在している気配は、なかなかに頼もしい。　ぼくの不機嫌が復活した日のことはやっぱりもう忘れないだろう。その瞬間にもぼくの中に、不機嫌なぼくに気づいている存在がいた。もしかすると、その時不機嫌なぼくを好んで演じているような節があった。不機嫌を長引かせることも、すぐに終わらせることも、それはぼくの判断に任されていたような気がする。　　

  Mar 2, 2007

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  石の気持ち

  　愚静庵での生活は午後からはたっぷりと自由な時間が与えられ、まるでぼくの描いていた通りになった。これを仏様のおぼしめしだと言わずしてどうしよう。昼寝に読書、敷地の下を流れる渓川への散歩。こんな時間をずっと望んでいたぼくだった。　ある夕方、勤行前のひとときをその渓川の流れを見つめながら過ごしていた。水と水がはじける音はまるで身体の中の音のようにも聞こえる。大きめの石にぶつかり白波を立てる箇所は、目を瞑って耳を近づければ轟々と滝のようだ。山里の小さな流れの中にも大自然がある。　ふっと足元の赤い石が目に飛び込んできた。色弱のぼくにどうして識別できたんだろう。まわりの石と違ってひと際鮮やかな石だった。手に取ってよく観た。ゴツゴツとした形状はこの辺りのものではないと、その石が言っているような気がした。　「あるヨギの自叙伝」の興味深い話を思い出した。ジャガディス・チャンドラ・ボースという科学者の、「金属も植物も動物も、外部からの刺激に対して同じように反応しました。つまり、そこには一つの共通の法則が存在するように見受けられました。それらはみな、等しく疲労や衰弱の現象を起こします。おそらく、疲労の回復や生気の高揚についても、また、死によって永久に反応しなくなる点も、同様であろうと推測されました」という話だ。つまり人も花も鉄板さえも、痛いとか疲れたとか同じように反応するというのだ。　この推測された共通の法則の中に鉱物も入るなら、いま手に取っている石もまた同様に何かの意識や気の流れを持っているのかも知れないと想像したくなる。ぼくはパワーストーンなどというものには今のところ興味はないが、自然界で個人的に出会ったものなら大いに興味が湧いて来る。両手で包んだり頬にくっつけたりしているうちに、どんどんぼくの宝物になって行った。　ベッドの枕元に持ち込んで天使のマスコットの横に並べた。石と話ができたらどんなにすごいだろう。何千年、何万年前の思い出話が聞けるだろうか。石は衰弱するんだろうか。風化し砕けてもまだ粒子として大地に眠るだろうか。その時もまだボース博士の推測通りに反応を繰り返しているだろうか。どうでもよさそうなことを夜な夜な考えているうちに、すぐに眠ってしまった。そのあと天使とこの石の世界が繰り広げられていたのだとしたら、実に愉快だが。　さてこの石。結局ぼくのそばでまだゴロンとしている。石の気持ちも知らないで連れ帰って来た。道場前と後のぼくは明らかに何かが違うのだが、案外この石の応援もあるのではと半ば本気で想像している。石は、ぼくの短い残りの半生にほんのひとときつき合うことになりそうだ。石の了解を取ることは今のぼくにはどうにも叶わないが、これもまた仏様のおぼしめしだと気ままに南無阿弥陀仏を唱えておいた。

  Mar 1, 2007

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  小食の効用

  　いつか断食というものを経験しようと思っているが、この小食念仏道場は図らずもその入門編になった。もしも生きながらえてぼくにも老後があるなら、食べないで生きて行ける身体にしておこうとかなり真剣に考えている。なんと言っても写真家は不安定な職業だし、行く行くは商業ベースから離れようとも思っている。心にピッタリな自然のリズムで暮らしたいぼくだ。　道場初日は３食ともニンジンとトマトのミックスジュースだった。お世話してくれた静心さんが新鮮な無農薬のを揃えていた。まずは食前のごあいさつ。「百味百果の飲食（おんじき）、慎んでいただきます」。そのあとにいつも南無阿弥陀仏を唱えた。このぼくがコップ１杯のジュースから百味百果を味わえるだろうか。ゆっくりと一口ずつ口に含み、暖めるようにして何度か噛んでみた。「うまい」。心でつぶやく。食道を通って胃の中へ流れて落ちて行くのがわかりそうなほどに、食卓もそこに着いたぼくの心も静かだった。　ユコタンのことがあってから食がかなり細くなっていたせいか、ジュースだけの１日は難なく過ぎて行った。２日目からは所用から戻った静栖さんが勤行に食事にと要領よくお世話してくれた。朝がジュース、昼と夜は湯のみ茶碗に７分目ほどの玄米と味噌汁、少しの菜と麹漬け、デザートにリンゴが一切れ。それらが半月盆に上品に並べられると、豪華に見えてくるから不思議だ。まずは目で十分に楽しませてもらえた。豊かな食卓とは一体どんなものを言うのだろうか。おやじに似て若い頃からガツガツと食べてきたぼくには、いろんなことを考えさせてくれる道場になった。　玄米は軽く口にして、200回噛むように言われた。ぼくだけの数え歌を作って楽しみながら食べた。「南無阿弥陀仏、大光明。ありがとうございます、大光明」。これで16回数えて、１本指を折る。10本全部の指を折ると160回噛んだことになるが、この頃には口の中には胚芽の粒が残る程度であとは液状になって融けてしまった。工夫して200回余りも噛んでみたが、疲れてそのまま瞬間的に寝入ってしまうことも度々だった。高校生だった頃の息子を思い出しておかしい。部活で疲れて帰ると、夜遅い食卓でよく眠ってしまったものだ。食べながら眠ってしまう。案外に気持ちの良いものだ。　よく噛んで食べなさい。子どもの頃から何度言われたことだろうか。弟はゆっくりと食べる方だったのか、早く食べなさい、と言われ続けていたかも知れない。それぞれのペースがあるにはあるのだが、50年も人生を過ごしてぼくはようやくよく噛んで食べるようになった。きょうも１日２食をゆっくりと融けるまで噛んだが無理がない。言われても直らないが、経験するとこうも違うものかと我ながら驚いてしまう。胃の神経伝達の速度は他の回路にくらべて格段に遅いのだと品愚上人が言っていたが、ゆっくり食べると満腹感の訪れるのが本当によくわかる。おかずの量も品数も俄然少なくなったのに、食卓が返って豊かになったような気がするのは、文字通り気のせいだろうか。たったこれだけのことでスローライフの仲間入りが出来た気分だ。　　

  Feb 28, 2007

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  ふかしぎ光山愚静庵

  　不機嫌になったりする出来の悪い性格は相変わらずだが、ぼくの中にこれまでと違った感覚が生まれ、それがどうやら定着しそうだ。言葉で説明すると額や頭頂にあるチャクラの開放的な感じのことだが、それよりももっと微妙な見えない何かが内側に留まっているようなそんな不思議も伴っている。栃木県粟野の里山にある愚静庵で開かれた小食念仏道場。感覚はその道場で生まれた。　ぼくの人生に南無阿弥陀仏の念仏を唱え続けるひとときが来ようとは、数年前には夢にも思わなかった。それなのに、自ら選んでの参加だった。目的はふたつ。真友ユコタンとの死別から落ち着いてきた今、ぼくなりの心の転換をしようと思った。ユコタンは今だに光に向いていないと言う声もあるが、ぼくは思った。本当は天も地もない。魂はこの宇宙のどこにいても強く結ばれ、互いに光り輝き合っている。この信頼を確信に変えるのだと誓った。　もうひとつの目的は日常から離れることだった。仕事のデジタル化に伴いのんびりとしたゆとりがぼくの日常から消えてしまった。こんな人生で良いはずがない。心にも実際の生活にも、一区切りが欲しかった。それならカメラは置いてきても良さそうなものだが、やっぱり離せなかった。集中して読みたい「あるヨギの自叙伝」と大好きなインディアンフルートもバッグに詰め込んだ。　　　しずかに陽が降り　　音もなく　渓川流れる　　ふかしぎ光山　愚静庵　　誰も知らぬが　　　胸の奥では　誰もが知っている　　深親の里　　ふかしぎ光山　愚静庵　　山尾三省さんの詩「ふかしぎ光山　愚静庵」の一節だ。ふかしぎ光山。それは三省さんが名づけたのだと、道場を開いてくださる本應寺の佐々木品愚上人から聞いた。一度実際にお会いしたかった三省さんだが、静かなひとりの時間が持てる山里でゆっくりと出会えたようでそれもうれしかった。　三省さんは続けた。　　　永劫の陽　降りやまず　　永劫の水　流れやまず　　ふかしぎ光山　愚静庵　　　求めるべし　願うべし　　さがすべし　尋ねるべし　　ゆくべし　ゆきて　かえるべし　　しずかに陽が降り　　音もなく　渓川流れる　　ふかしぎ光山　愚静庵　　　ぼくのこの心の、いやこの魂の旅を、三省さんも応援してくれていた。ぼくは求める、光の道を。願う、魂の導きを。そしてさがし、尋ねる、天上の友を。この生涯を賭けて、天と地の間を行き来するスーパー風の吹くままカメラマンになる。　

  Feb 27, 2007

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