カテゴリ:日本の生活
今日は何とか計画停電が回避される見込みらしい。企業・家庭とも節電に努めた結果だ。日経新聞のサイトによると「計画停電を5日間続けたことで、東電は「今の時期の電力需要は気温と天候に左右されることが分かった」という」とある。逆に言うと、電力界はそういったきめ細かな需要予測すらしないでも良いほど需給に余裕を持てる業界だったのに驚く。
この一週間は自宅付近では計画停電の影響が大きく、特に木曜は合計7時間近くも停電があった。まだまだ東北の被災者の方は困難な状態が続いているし、オイルショックを彷彿とされるパニック的な買い込みで主要品目がスーパーの棚から消えるなど生活への不安が大きく、とてもブログを更新する余裕は無かった。しかしあまりこれを放置しておくと記憶が曖昧になって行くので、一気に書き溜めておこうと思う。まずは震災当日の話。 震災当日は三田にあるオフィスの20階にいた。最初の揺れからいつもよりかなり大きくオフィスの書庫が揺れる。それが長く続き、次いでオフィスの一部から軋み音が聞こえ始めると俄然不安が募り、流石に机の下にもぐる。館内放送では階段に殺到しないようオフィスに留まれとの指示が出る。災害避難訓練時は英語放送もあるが、動揺しているのか英語放送が無く、同僚の外国人に逐次説明する。 何度か大きな揺れが続いた後、揺れは幾分小さくなるが、断続的な揺れが続く。横揺れのため船酔いと同じような症状を感じる。幸いオフィスは日頃から整理整頓を気をつけているので書類棚が倒れたり物が落ちてくることは一切無かった。窓の外を見ると、向かいのオフィスは全員退去しており、品川駅付近では新幹線がストップしているのが見える。 すぐに家族の様子を探ろうとするが、携帯電話網は不通、地上ラインもなかなかつながらない。メールサービスが止まっていないようなのでメールで携帯メールに向けて安否を確認してみる。震災発生から約45分後の15:10には無事が確認できたのでひとまず安心。しかし自宅付近は停電であることがわかる。 インターネットやTV経由で災害の状況が分かり始める。大きな津波で車が流されるなど被害の大きさを知るにつけ再び不安が募る。同僚のブラジル人と昼食時に災害時に家に供えておくものは何かという話をして、実際に参考情報を各種メールで送ったところだったのでその不吉な偶然さに驚く。 「防災」完全マニュアル そうこうする内に喫煙者が我慢できなくなって、地上階までタバコを吸いに行く、と言うのでいざと言うときに備えてビル内のコンビにでカップ麺を買ってきてもらうよう依頼する。やはり禁断症状は20階を上り下りする苦労をも上回るのか。 この頃から自宅へ帰ることができるかどうかが関心事になり始める。通勤手段である鉄道網は当然ストップしている。徒歩で帰宅するルートを確認すると20km弱あり、4-5時間はかかるだろうし、余震の影響も心配だ。動かない方が安全かもしれないが、さらなる大規模地震があった際に停電で困っているだろう家族と離れていることのリスクもある。 17:00から英国人が一人オフィスで合流して電話会議をする予定だったが、延期の連絡をする。ところがこの英国人が17:10頃に「10分遅れてすまなかった」と汗だくで20階まで上がってきたのには驚いた。訊くと秋葉原で別の会議をしていたが、即座に中止してこちらに向かってきたと言う。奥さんがお台場にいるが連絡がとれないので新橋で待つことも考えたがとりあえずこちらに移動して来たらしい。日頃からトライアスロンに向け鍛えている人は強いし選択肢も多い。結局彼は田町から徒歩でレインボーブリッジを渡って奥さんのいるお台場に行くことになった。 JRが18:30頃に当日中の運転再開を見合わせたことで、諦めて徒歩で帰宅する人が増え始める。尾山台に住む先輩が徒歩で帰宅するというので、もしもの場合尾山台で泊めてもらうという選択肢も視野に入れて、自宅付近に住む同僚の女性と併せて三名で徒歩で帰宅することにした。 まず20階から階段で降りる最中に驚いたのは、逆に宅急便の業者が荷物を取りに上がってきていることだ。こういう場合でも業務停止にはならないようだ。荷物が大きく重いものだったら、どうやって降ろすのだろうか。 地上までたどり着くと、既に歩道は徒歩帰宅者で一杯だ。災害徒歩ルートを実際に確認したことが無いので不案内だったが、同行の先輩はバスで帰宅することもあるためルートを熟知しており心強かった。日本のみならず海外からも各種メールがBlackBerryに入り始め、孤立した感じはしない。 日が落ちて、気温がグッと下がってくるし、風も強い。目黒通り沿いの店はまだまだ開店しているところが多く、街路灯も点いているので不安感は少ない。1時間半ほど歩いたところでまずは喫茶店で一回目の休憩。まるで平時のように落ちついた様子で対応する店の人の笑顔に驚く。日本人のResilienceは凄い。手作りのサンドイッチと冷え切った身体にホットレモネードは何よりものご馳走だった。 再び歩き始めるが、時間とともに先輩の足がなかなか前に進まなくなる。徹夜を含めて不規則な生活が続いていたのと、運動不測の足が限界に来たようだ。無理だと思いつつタクシーを捕まえようとするが、何故か回送車が多い。燃料不足だろうか。通り過ぎる路線バスはすべて満杯で、バス停も長い行列、とても乗れそうに無い。目黒駅付近のパチンコ屋で二回目の休憩。快くトイレを貸してくれた。 さらに目黒通りを進むと、都立大駅付近で、足が限界に近づきつつある先輩が、東横線で電車が通るような音をすることを目ざとく発見。都立大駅で30分近く駅で粘るととついに東急が運転を再開した。今考えると都立大駅を超えると東横線とは交差しないし大井町線と並行するので、足が動かなくなった先輩のお陰で東急再開に気がついたので何が幸いするか分からないものだ。 自由が丘で大井町線に乗り換え、溝の口の駅構内が混雑しているというので、二子玉川駅で満杯の田園都市線に乗り換えて何とか宮前平駅に着いた時にはほとんど正午。既に停電は終わっているので一安心。まずは自宅まで行き、車で同僚の女性を送って帰宅、ちょうど停電が終了したところだった。 長い帰宅の旅だったが、この貴重な経験で学ぶことは多かった。 まずは全徒歩ルートの半分も歩かなくて済んだ訳だが、冬の寒い中では肉体的にも大変。雨が降っていなかったのは幸いだったが、天候が崩れるとさらに悲惨だったことだろう。レインコートは携帯すべきだろう。 停電がさらに起きないという保障も無いので小型懐中電灯も欲しい。小型のラジオを持っていれば情報力もグッとアップしていたかもしれない。モバイル充電機能があるライト・ラジオがベストだろう。ちなみに我が家には携帯には向かないが米国時代に購入したEton社製の災害用ラジオがあり、今回も大変重宝している。最新式はSolar充電付き。 eton Solarlink FR360 自分は動きやすい靴をいつも履いているので良かったが、女性はたまたまヒールを履いてきていたので疲れたことだろう。運動靴をオフィスに置いておくのは有効だ。 三人一緒に帰ったのも正解。雑談をしながら歩くと気がまぎれて深刻さは薄まるし、まさに三人寄れば文殊の知恵で意思決定リスクが平準化される。 最も大切なのは肉体のタフネス。今回は運良く(?)足が痛む先輩のお陰で東急再開を知ったとは言え、そうなるとは限れないのでやはり健脚が基本。20km程度はいつでも歩ける体力をつけておくべきだろう。 (つづく。。。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Mar 19, 2011 09:51:37 AM
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