「日本の戦争」
田原総一郎の「日本の戦争」を読んだので、いくつか思いつくまま書いておこうと思います。まず、なんといっても面白いのです。先がどうなっていくのかと思わせる話の運びの上手さがあります。日本はどうして負けが明らかであった太平洋戦争に突入していったのか。その疑問を解きほぐすために、彼は明治維新から始めます。明治元年が1868年、敗戦が1945年ですから、その間わずか77年。戦後60年ですからいかにこの時期が激動の時代だったことか。結論から言えば負けが確実な戦争に突入していったのは、言われているように軍部の独走によるものではなく、戦争をしなければ自分達の命も危ういと思わせるほどの戦争賛成の「世論への迎合」だったとしています。ここで思ったのは世論を形作る民衆の、全体としての意識です。歴史は突出した歴史的人物がエピソードを重ねるようにして形作られているようにも見えますが、近・現代となると個人の影響力はどんどん小さくなり集団全体の意識が影響してくる。一時代を通して一定の集団的意識が成り立つと考えると、戦前と戦後の日本人の意識には断絶があります。そして明治維新後と江戸時代の民衆意識にも隔たりがあるでしょう。そうすると田原総一郎が明治維新の「富国強兵」「和魂洋才」という思想的バックボーンから始めたのはもっともなわけです。この二つは西欧の近代文明を目の当たりにして飲み込まれてしまうのではないかという指導者達の危機感から出た命題でしたが、民衆に与えられたのは「天皇崇拝」と「忠君愛国」の大和魂でした。田原は「わたしは、思わず『なんだ』とつぶやいてしまった。小学校で歴史を学んだときから、何となく天皇教は2000年以上つづいて来たものだと思っていたのだが、実は100年ばかり前、近代国家建設の途上に作られたに過ぎなかった。」と言っています。しかし、この天皇教が2,26事件などのテロを誘発し、国際情勢を歪んだ目でしか見ることが出来ず、負けるはずがないと非合理的な精神論を振りかざして戦争に突入していった世論を形づくる大きな要因になったのでしょう。日本の近代の成立はごく一部の目覚めた者たちによって行われ、民度は低かった。民衆をまとめるのに利用した「天皇崇拝」や「大和魂」が、いざとなったときにコントロールを失い指導者の選択を強制していったとはなんと皮肉なことでしょうか。帝国主義と日清戦争に続く、かも。