カテゴリ:ガキの頃
昔の映画を見ると、時々、煙突の掃除屋さんが出てくる。 竹の先にタワシをつけてぐるぐる回して煙突の掃除をする。 肩にくるくると巻いた竹を抱えて自転車でやってきて 「あれよ、これよ」と屋根に上がって、煙突の傘を取り外す。 そして「スーッスーッ」と五回くらいくりかえすと降りてくる。 下の釜を開けるとススが沢山出ている。 庭の木々の根元に撒いていく。それで終わり。 水の入った洗面器を出され、顔を洗ってお代を貰って帰って行く。 それだけを商売としているおじさんだろう。 楽だよな。私も、一時、煙突掃除のおじさんを夢見たことがあった。 楽な仕事だろうと思っていたら、私は人生を教えられた。 煙突の掃除屋さんも煙突の掃除だけでは生きていけないらしい。 夏、学校の帰り、銭湯の裏を通ったら、煙突屋のおじさんがいた。 釜に薪をどんどん放り投げていた。 夏の暑い中、汗を垂らしながら、おじさんは頑張っていた。 おじさんはお風呂屋さんで働きながら煙突屋さんもやっていたらしい。 どうりで、午前中しかおじさんの姿は見かけなかった。 おじさんのような人を、今風に言うと「マルチ人間」というのだろうか。 でも、煙突掃除をしている時のおやじさんの顔 風呂の釜に薪を放り投げているおやじさんの顔 のんびりとしてほのぼのとして「生きている」という感じだったよな。 煙突掃除も、風呂の釜炊きも、人のためになることなんだからな。 子供心にも、「おじさん、お疲れ様」と背中にかけたくなった。 昭和から平成になって感謝の言葉をかける気持ちが薄れた。 経済効率ばかりの社会、やはり寂しいものである。 人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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