キータンの立ち喰い蕎麦屋談義~1
「ああ蕎麦が喰いてえな」秋の空を眺めていて、私は突然に思った。蕎麦は「戴く」が普通だ。しかし「喰いてえ」と思った。そう、喰いたいと思った蕎麦は「立ち喰い蕎麦」だった。立ち喰い蕎麦は「戴く」よりも「喰う」が似合っている。東京から大分に戻って、なにが寂しいかと言ったらそう、寄席がない、大学ラグビーが見られないなど、いろいろあるけれど立ち喰い蕎麦を喰うことができないこともひとつだ。大分に戻って、ある日、私はふと気づいた。大分には立ち喰い蕎麦屋がねえんだ。それに気がついた時、頭がクラッとして、私はやるせなくなった。大分駅のホームにあるではないか。そう言う人がいる。違う。あれは大分の弁当屋がやっているうどん屋だ。そう、東京の立ち食い蕎麦屋とは全然違う類の店だ。東京の街角のあちらこちらに見かけるような立ち食い蕎麦屋が、大分にはない。立ち食い蕎麦屋の「見識」と「風格」が漂っている蕎麦屋が、大分にはない。それに気づくと、私はやけに立ち食い蕎麦が無性に喰いたくなった。「私、立ち食い蕎麦屋に入ったことがない」大分の女の人から言われたことがある。オットーー!立ち喰い蕎麦屋がどのようなものか知らない人がいる。うん、女性か、まあそうだろうよ。ふふふ、立ち食い蕎麦屋は女性が入れる店ではない。エッ、女性が入れない。どうして、どうして、教えて……。ふふふ、ゆっくりと教えやしよう。それでは、取りあえず、東京は新橋にある立ち食い蕎麦屋に入ってみよう。まず、店に入る前に、店の前でチケットを買う必要があるんだべえ。「かけ」「月見」「てんぷら」「きつね」「ざる」などと、頭名しか書かれていない。「うどん」とか「蕎麦」とかの文字は書かれていない。それにね、二百八十円、三百円とやけに安いことに驚く。販売機にお金を入れて、ボタンを押すと、コトンとチケットが落ちてくる。続いてお釣りというボタンを押すと、ザラザラとお釣りが出てくる。チケットとお釣りを忘れないようにとって、さあ、店に入ろう。暖簾をかき分けて入る。ドアはほとんどの店が開いている。夏はもちろん冬の寒い時でもドアは開いている。木枯らしがビュービューと吹いている時でもドアは開いている。開いているというよりも、ドアがない店もある。寒くないかって、寒いさ、ふふふ、寒いから蕎麦がおいしくなるんだべえ。暖房の効いた店での立ち食い蕎麦はおいしくねえのさ。寒さもひとつの味つけなんだからさ。オットーーート、さあ店の中に入りやしよう。(つづく)人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!