髙木山と加治田城趾の梨割山・・・ついでに登ったのに歴史のロマンを感じる山行き
11日(日)天気予報どおりなら、日曜は天気が悪くなるから土曜に山に行くことにして、昨年末の鬼飛山から見えた、みのかも健康の森の髙木山へ、そして初めての梨割山とのセットで登ってきました。髙木山は2007年と2019年のどちらも7月に登っています。その後に行く梨割山と加治田城趾は歴史好きのKIKIにとってロマンを感じるところです。加治田城は別名「却敵城」敵を退けるという名前を持っているほど難攻不落の山城です。永禄8年(1565年)尾張の織田信長が、関・加治田・堂洞の中濃三城を制圧するために富加町に攻めて来た様子が信長一代記「信長公記」に記されています。犬山城を攻略後、富加町の加治田城、堂洞城へ圧力を強め犬山の鵜沼から猿喰城へと進行し、ついに堂洞城を包囲する。加治田城主 佐藤紀伊守は、堂洞城主との同盟を破って勢いのある信長方に寝返り堂洞城を攻めたという。(山頂の看板から)みのかも健康の森の駐車場に着いたらたくさんの車がすでに停まっています。お昼ご飯は持たずお茶だけ持って出発。天気が良くて風もないので暖かく冬の登山日和です。歩きはじめから、目的の髙木山が見えています。青空で雲一つありません。どんぐりパークの横を歩いて階段を登ったらここから777段の恐ろしい階段登りが始まりますが・・・右の林道から下りて来る人に尋ねたら、最近できた林道の方が楽だとのこと。階段登りをやめて林道歩きに変更です。未舗装だから足にも優しいし、夏は日陰が無いから暑いかもしれないけれど冬は暖かくて展望も良いからこの道にして正解!!私の後ろの納古山の西尾根の向うに御嶽山が雪を被ってきれいです。私の後ろの尖がりの山は、山之上富士山で三角錐のいい形です。少しズームにしてみましょう。山之上富士山(357.2m)の尖がりの右に、中央アルプスが雪を被って光っています。さらにその右に百名山の恵那山髙木山の山頂(342.5m)の広場には展望台があり一番上にKIKIが手を振っていますが分かりにくいですね。北側の左は能郷白山の頭が雪を被っているのでわかります。真正面は雪の白山西側の展望は一番奥の山並みは養老山地から鈴鹿山脈写真右端に少し雪を被った伊吹山田んぼの右の鉄塔がある山隗が、次に行く山梨割山と加治田城趾でしょうね。白山のズーム御嶽山は少し雲がかかりはじめ中央アルプスも雪で真っ白能郷白山のズームです。伊吹山のズームわかりにくいですが、伊吹山の手前のなだらかな山は池田山次に行く梨割山(一番右奥)加治田城趾は南に開けている真ん中の高い所でしょうね。鈴鹿の鎌ヶ岳(1161m)が左、御在所岳(1210m)が右にうっすら見えています。髙木山山頂は360度の大展望でした。下山は西南の尾根を下ります。振り返って山頂を見たらすこし展望台がみえました。暖かい自然林の尾根を下ります。少し寄り道をして、途中のピークにある愛宕神社に向かいます。愛宕神社が祠も無く、愛宕神社と彫られた石柱だけポツンと立っています。登山の無事とお礼をおまいりして下山。石ころが出て来て石車に注意して歩きます。途中から777段の階段の途中に合流することになり終わりが見えないほど長いやっと終点が見えて来て、結構な階段でした。下山後は駐車場でランチを頂き次の山の梨割山へ向かいます。登山口の清水寺の山門寺の駐車場を過ぎてそのまま道なりに進むと、結局林道終点まで行ってしまいました。結論的にこれは失敗、寺の駐車場に停めて、参拝してから山に入るのが一番無駄がないことを後で知りました。林道終点の右から長い階段を登ります。階段を登りきったら沢の堰堤があり沢沿いを山に入っていくと「山の神」の石碑があります。「神」の字が少し変わっているので変だね?と話しながら登ります。梨割山は右へ、加治田城趾はまっすぐ進みます。まず城址からの展望を日没までに楽しみたいから、加治田城趾へ行きます。看板が現在地を教えてくれるので助かりますが加治田城には赤いラインが無いので、道があるのかな・・・左へ行くと近道、まっすぐは本道となっているので初めてのところだから、近道では無く本道を進みましょう。緩やかに左に回り込んで登って行くと尾根に取り付きます。岩の稜線はロープの向うは崖です。稜線から南の展望は名古屋のビル群が山と山の間から見えてこの平野を敵が進んでくるのが、良く見えてここに城を作ったことが良くわかります。少しズームで、右の山の上に砦の櫓が見えています。さらにズームで見て見たら、猿啄城です。明王山と金毘羅山の稜線を下って来ると、たどり着くのが坂祝町の猿啄城趾です。この加治田城から、信長軍に攻められ陥落する猿啄城(さるばみ城)を見ていたのですね。稜線を進み樹間から、加治田城趾が見えて来ました。案ずる事は無く、普通に稜線を進むと加治田城趾につきました。看板の赤ラインが無いから、途中から道を探さないといけないかと思ったけれど。城址の広場は加治田城の謂れの看板があるだけしかし平野にある山城だけあってすごい展望です。ここから織田信長軍が進軍して来るのを見ていたのですね。加治田城主は自分の娘、八重緑姫を堂洞城主 岸勘解由方に嫁がせて婚姻関係で同盟を結んでいたという。加治田城側が信長方に寝返ったために八重緑姫は、見せしめで竹槍で殺されたという。時世を見て自分の娘を犠牲にしてまで信長に寝返った加治田城主とそのまま城を枕に討ち死にした堂洞城主の生き方は、戦国時代の厳しさを感じます。KIKIの後ろにみえる山が、梨割山です。加治田城趾から後ろに梨割山が見えています。加治田城が「却敵城」(きゃくてき城)と言われるのは、この梨割山が後ろに聳えて天然の要塞の壁になっているのもひとつの要因でしょうね。梨割城への登山ルートはこのほかにいくつかあるのですがすべてに登るのが険しいところがあるそうで、そこで敵を迎え撃ったそうです。山頂直下には「曲輪」の表示もありますが、次の梨割山にも行かなければいけないから時間が無いので曲輪跡を探さずに下ります。途中で出会った一人の男性は、曲輪には石垣の跡があったと言っておられた。梨割山への分岐に戻ってきました。サクサクと落ち葉を踏んで山腹を緩やかに進んで行く直角に右の斜面の直登が始まる、実際は写真で見るよりすごい斜面です。ボクサー犬を連れた男女が下りて来て、今日この山では3組4人と出会いました。もうすぐ山頂~~傾いた太陽が目に入る梨割山山頂(278.2m)二等三角点もあり、ベンチも二つあります。先ほどの加治田城趾も樹間から見えて位置関係がわかります。下りは途中でロープを掴んで下りました。登りではそのありがたみが全くわからなかったけれど下りでは落ち葉が滑るし、雨の後や雪の時はとても助かります。(写真は下りの途中で振り返って上を写しています)下りて来て大急ぎで清水寺を見学と参拝。この山門は増長天と持国天を祀っているため「二天門」と言われています。門も、県の重要文化財で、増長天像と持国天像の二つの像も富加町の重要文化財です。谷のドン詰まりに本堂があるから、本堂へは大急ぎで長い階段を登ります。途中の苔むした石組は城が有った当時の物のような古い石組です。無住のお寺なのにきれいな境内小さいけれど風格のある本堂坂上田村麻呂が開祖というだけあります。国の重要文化財の木造 十二面観世音菩薩像と,県の重要文化財の木造 地蔵菩薩立像が安置されているという。境内の右の御手水場の右に「梨割山へ」の看板があり谷のドン詰まりの寺の上が登山口なので結局ここから山に入るのが一番無駄がないということがわかりました。今度来るときは、下の駐車場に停めてここまで登り参拝後梨割山へ取り付くことにします。城跡めぐりのブームもあって、今日は意外にたくさんの人に出会いました。みのかも健康の森の髙木山の帰りに、ついでに立ち寄るつもりで登った山ですが意外に見るべきものがたくさんあり、歴女好みの山でもあるので今度はゆっくり清水寺参拝と城跡めぐりしながら登りたいと思った山でした。