母はリンパ腺癌を発症して、半年入院して抗癌剤治療していましたが、最後の病名は「麻疹」として、80才で鬼籍に入りましたのは1993年6月でしたから、もう31年も前のこととなりました。
母は静岡県に生まれましたので、富士山が好きで、又「雲は芸術!」と言う詩心を持った人でしたので、心を安らかにすべく富士山を油彩にして置くことにしました。
秋の空を貫く好きな富士山も、裾野に棚引く雲も描き来ましたが山梨県忍野村からの景色ですので、「裏富士!」と苦笑しているのかも知れません。
静岡県人にとっては田子の浦からみる表富士が本当の姿だったからなのでしょう!