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華族令嬢で気品ある容姿で銀幕を彩った名女優久我美子さんが逝去されました。 第2次世界大戦で敗北し、華族制度が廃止とならかったら、深窓の令嬢として世に出ることは無かったとされていますが、映画女優として活躍されて気品ある姿が人気を集めた様で、運命の悪戯としか言いようがありません。 女優の久我美子さんが6月9日、誤嚥性肺炎のため死去、93才だった。村上源氏の流れをくむ華族出身で、東京の牛込(新宿区)で誕生。気品ある容姿とにじみ出てくる内面の美しさで名だたる監督から重用された昭和の銀幕を彩った名女優が静かに逝った。 平安朝の前期(10世紀)から続く公家の出身。芸能界を志したのは、戦後の華族制度廃止に伴う久我(こが)家の経済状態の悪化を憂慮し、家計を助けるためだったという。学習院女子中等科在学中の1946年に第1期東宝ニューフェースを受験し合格。同期には三船敏郎や若山セツ子らがいた。 黒澤明監督の「酔いどれ天使」(1948年)を経て、1950年に今井正監督の「また逢う日まで」でヒロインを熱演。岡田英次を相手にした窓ガラス越しの接吻は日本映画史に刻まれる名場面。その後も黒澤監督の「白痴」(1951年)や市川崑監督の「あにいもうと」(1953年)、今井監督の「にごりえ」(1953年)、木下恵介監督の「女の園」(1954年)など、1950年代は多くの巨匠から引っ張りだこになっていたとされています。 運命の悪戯とは言え、有意義な人生を歩んだとも言えそうです! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.06.15 13:30:30
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