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カテゴリ:歴史と文学
大分前に読んだ本ですが、 アンナ・ナホフスキーの日記 というのがあります。(アンネ・フランクの日記ではないよ) これと、ブリギッテ・ハマンという作家(ハプスブルク家の人物についてかなり詳しく調べて伝記を書いている)の書いた、 エリーザベート皇后 という2冊は一緒に読んでいくと、片や皇帝の愛人、片や皇帝の后ってことで、なかなか興味深いのですが・・・・・・・・。 ま、ともかくこのアンナ・ナホフスキーはオーストリア・ハンガリー二重帝国の皇帝、フランツ・ヨーゼフの愛人であった市民女性、実は皇帝を父とする娘を一人産んでいるのですが、その娘が作曲家アルバン・ベルクの妻となった、ヘレーネだ、といえば音楽をされてる方には、ああ、あれが・・・・とお分かりいただけると思います。 フランツ・ヨーゼフは従妹であり妻であったエリーザベート(愛称 シッシー)を心から生涯愛し続けるのですが、彼の愛し方というのは妻には届かなかったようで、夫婦仲は必ずしもよいとはいえず、不幸な夫婦生活を双方が送ることになります。 ブルク劇場の人気女優であったカタリーナ・シュラットとの恋仲を積極的にとりもったのは、他でもないエリーザベートだったりしますが、この辺の話はまた別の機会にするとして、このカタリーナ・シュラットとの仲が始まる前の愛人であった、このアンナ・ナホフスキーについて、ちょっと書いて見たいと思います。 アンナ・ナホフスキー(彼女が皇帝にあったときはまだ16,7の乙女であった) このハマンのエリーザベートの伝記にでてくるアンナは、皇帝のただ単なる性の処理のための女性であった、というふうに書かれています。 なぜなら、心から愛していた妻のエリーザベートや、また愛人のカタリーナ・シュラットには手紙を書いたり、高価な宝石類をプレゼントしているのにもかかわらず、アンナ・ナホフスキーには、愛情の証明になるような一通の手紙も、一つの宝石もプレゼントしていない、というもの。あとくされのないようにアンナにはお金を渡していたから、というのがハマンによる根拠のようです。(世の男性のみなさん、そうなんですか?) カタリーナ・シュラット(アンナは劇場にこのライバルを見に行くことになる) アンナと皇帝の最初の出会いは、彼女が毎朝健康のためにシェーンブルン宮殿の庭で散歩をしていたときのようです。以下、本文より私のヘタクソ日本語訳で ・・・・・(略)・・・・・・・・ 私は石のベンチに座っていました。 そこへ皇帝がやってきて、となりのベンチへ腰をかけました。数分後、皇帝は立ち上がり、私のほうへ来たのです、そのときの私の心臓の鼓動といったら! 皇帝は私の前に立ち止まって軽くあいさつをし、あなたはよくお散歩をされてるようですね? と話しかけてきました。 私は恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら、ベンチから立ち上がり ええ、そうです陛下、ここは綺麗なものですから・・・ と、ちょっと気が動転しながら答えました。 あなたはきっと、この近くの郊外(訳者注 この当時シェーンブルン宮殿があったウィーンの十三区は今ほど開けていなかった)にお住まいなのでしょう? いいえ、違います、ウイーン市内のほうに住んでるんです。 と私が答えると、まあなんでそのような遠いところから?それならあなたは早起きをしなくてはいけないではないですか? ・・・・・・・・・・・・・(略)・・・・・・・・・ そして私は皇帝のあの綺麗な青い瞳を見つめました、ああ、なんて素敵な目をされてるのでしょう! なんて私はおばかさんなのかしら、皇帝に恋をしたなんて・・・・、いいえ、いいえ、紛れもない陛下、私が恋したのは陛下。 その陛下に私のことを気にいっていただけたなんて、なんて光栄なことかしら。 その後長い間皇帝とお話をし、また翌日ここへ来ることをお約束して別れたのです・
二人が出会ったシェーンブルン宮殿(世界で一番古いといわれる動物園も併設されています) 少なくとも、彼女はフランツ・ヨーゼフを愛していたようでした。実際、フランツ・ヨーゼフからみた彼女はただの性の処理機関であったかもしれなくっても、彼女自身は真剣だったようです。 この二人の関係はカタリーナ・シュラットとも関係が始まってしばらくして終わっています。 だんだん皇帝の訪れが減ってくる・・・・・・・ある日、夫の不在を見計らって秘密裏に王宮に皇帝付の男爵からよびだされ、高額のお金を手渡され、皇帝との関係があったことは決して口外しないという簡単な証書にサインをさせられます。 オーストリア・ハンガリー2重帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ
このとき彼女は男爵に、以前皇帝に渡したことがあるブローチを返還していただきたい、とお願いをし、その後彼女の手元に戻っています。 彼女にとって皇帝がどのような意味をもっていたのかは、王宮からもどった彼女が記した日記に手がかりがあるのではないでしょうか、以下また私のヘタクソ訳 ・・・・・・・・(略)・・・・・・ そうして私はまた家へ戻ってきました、そこにはいつものように部屋があり・・・・でももう全く変わってしまったのです。私は自由。子供達をベットへ寝かしつけた後、私たち(彼女と夫)は夕食をとり、いつものように私の寝室へいきました。 静かにゆっくり服を脱ぐと、ベットに向かいました・・・・・・・・ ああ、もうこれで終わってしまった、全てが終わった、もう戻らない。 この部屋にある全ての家具や調度品が彼のことを、おもいださせる・・・・・・ここで彼は食事をし、ここに彼は立ってた・ なのに、なのに・・・・・・もう戻ってこない。 彼は私にとって星であり、私にとって支えであり。彼のことを思うことによって私の人生は正しい道へ導かれていたのだったのに、もう、終わってしまったなんて・ 私は泣きに泣いて、その場に泣き崩れました。 落ち着くまでかなり時間がかかったと思います。 これからの自分の人生のことを思うと・・・・空洞、空虚、 ・・・・・・・・・(略)・・・・・・・・・
別の機会には皇帝の后、エリーザーベート(これもなかなかの話題を提供してくださるお方なので)について書いてみたいと思います。 実は私は自分がウィーンに住んでたときはハプスブルク家にはあまり興味がなかったのです。ま、ハイドン、モーツアルトなどの作曲家と関係のあった、マリア・テレジアとその娘、フランス革命の犠牲になったマリー・アントワネットくらいで。 ドイツにきたから興味なぜかもちだしたので、今考えるとちょっと残念なことをしてしまった~と思いますね。またウィーンに行く機会あればいろいろ散策してみたいと思います。 あ~あ、ウィーンへ行きたくなったよ。お~い、彼氏君、もしこれ読んでたらウィーンへ一緒にいこうよ~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.12.11 20:10:44
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