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カテゴリ:歴史と文学
彼女は目を開けた。 風が突然、決意したように寝室に入ってきたのだった。 風はカーテンを帆に変え、大きな花瓶の花を床のほうへかしげさせ、 いま彼女の眠りに襲いかかっていた。 それは、春の、最初の風であった。 林や、森や、土のにおいがした。 パリの郊外や、ガソリンで充満した街路を気ままに吹き抜けて、 風はかろやかに、誇らしげに、暁のなかを彼女の寝室にやってきた。 彼女が目を覚ます前に、生きる喜びを彼女に知らせるためだった。 ・・・・・・・・・(略)・・・・・・・・・・ 夢の断片が彼女の脳裏をぼんやり曇らせた。 だが微笑がその口元をすこしずつほころばせていく。 暁、暁の田舎・・・・テラスの上の4本のプラタナス、 白い空にくっきりと浮かび上がったその葉むら、 犬の足の下の砂利の音、永遠の少年時代。 『私が子供だったとき』というテーマで出発するやいなや、 全ての人間は不意にあふれる心情を吐露し、 精神分析者はいくつも学説をだし、 作家たちは歓声をあげた。
私は彼女のこの鋭い感覚、的確な心理表現、ちょっとシニックな観察力など、昔からとても好きでした。彼女の本、処女作ですが一番有名なので、『悲しみよ、こんにちは』でしょうか?(ちなみに、この本の冒頭に出てる詩は私のブログのトップページに載せてあります。) サガンは、「私は言葉が好きです。存在する言葉の9割は好きです」とインタヴューで言ってるように、彼女の本には彼女が特に、好きなんだなぁと思わせる表現、単語がよく出てきます。(例 バルコニー、鎧戸、郷愁(メランコリー)) この本のは、30歳くらいの田舎から出てきて、今はパリの初老の実業家に面倒をもてもらっている大人になりきれていない女性と、これまた今度は年上のお金持ちの未亡人に面倒を見てもらってる主人公と同年代の男性の恋愛話がテーマです。 この二人の『子供』が恋におち、それぞれの『大人』の庇護から抜け出し、つかの間の恋愛を楽しむも、大人になりきれてない主人公は、その恋人の子供を身ごもり、中絶し、結局その恋人と別れて元の『保護者』のもとへ戻る、という内容。 一見、くだらないゴシップ恋愛のようですが(いや、実際そうかもしれない)、こういう場面には、こういう心理表現という的確なサガンの文章力に、私はヒジョウに惹かれるものがあります。 私なぞは、国語が苦手で作文っていうと、思うことはあってもそれを文章でどう書いていいのかわからず、ボー然状態でしたから。 だから彼女のように、「そうそう、そーなのよ!」って言いたくなる文章を書ける人は本当に尊敬します。 その声です。声を持っている作家がいるのです。それは一行目から聞こえてくるもので、話をしている人の声みたいなものです。一番大切なものだと、私は思います。声、あるいは、トーンと呼んでもけっこうです。 サガン自身もこの『声』をもってる作家だと私は思うんですよね。彼女の個性、主張が文の中に凝縮されて詰まってるっていうか、なんというか。彼女のどの本を読んでも彼女の声はそこにあるわけです。(やっぱり貧困な表現になってしまった) で、話をもどしますが、いいでしょ、この冒頭に載せた文章。 春のかおり。 夜、外を歩いてるときに、私はよく感じますよ、「あぁ、春のにおいだ」って。 冬のそれとは明らかに異なる風のにおい。 春だなぁって思う。(田舎の香水じゃあございません) ところで、わが国にも平安のその時代に、この春の夜のにおいをテーマにした歌を詠まれた方がいらっしゃいます。 春の夜の闇はあやなし梅の花 色こそ見えね香やは隠るる (古今和歌集) これは梅の花を見えなくする夜の闇を擬人化し、どうせ姿はみえなくっても存在は隠せなくって(その香りのため)わかっているのだから野暮なことはするな、という意味です。 ここでいきなりクイズです 以前のブログの記事に(【花といえば?】を参照)、この時代の花といえば梅か桜かどちらか、などというテーマを書いてますが、以下の歌に詠まれてる花、とは何の花のことを指してるでしょう?
我は今朝うひにぞ見つる花の色を あだなるものといふべかりけり
A) ひまわり B) タンポポ C) バラ D) チューリップ E) すみれ *ヒント* その原産地はある地域、それが中国に伝わり日本へ伝わったという当時の文化ルートを考慮ください。
正解の方には・・・・・・・・・
それでも皆様、ふるってご応募を~!(するか、んなもんって?)
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Last updated
2009.03.18 01:19:37
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