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テーマ:ヨーロッパ旅行(4227)
カテゴリ:歴史と文学
皆様は、アムステルダムというと何をまず最初に連想されますか? 私にとっては、アンネの家になります。 私が小学校3年生くらいのころ母が買ってきた本、それが悲劇の少女アンネという本でした。 それまでドイツといえばバッハやベートーヴェンだと思ってた私にとってこの本の内容はかなりショッキングでした。 その本を読んで以来、いつかこの家を見てみたいな~でも無理だろうな~とずっと思っておりましたが、それがとうとう叶いました。 行ってきましたよ、アンネの家。 アムステルダムは運河が網の目のように廻らされてる街で、その運河ひとつひとつに名前がついています。 アンネの家のある運河はPrinsengracht(プリンセン運河)でそこのプリンセン運河通りにアンネの家はあります。 建物はアイゼナッハのバッハハウスと同じく、外見も中身もかなり近代化されています。 アンネ達の隠れ家があったのは、この建物(左側)の裏側でした。 アムステルダムの古い家は建物が細長く奥行きが深いのです。(京都の建物もそのような造りだと読んだことありますが) この建物はアンネの父、オットーの会社のあったところで、アンネ一家はナチスからのユダヤ人狩から逃れるべく、このオットーの会社(倉庫と事務所が一緒になっている)の裏の建物のところに身を潜めていました。
アンネの家(現在博物館になっている)の入り口
博物館内は一切カメラ撮影禁止でしたので、残念ながらここで隠れ家内の写真を公開することは出来ません。 でも子供のころから何度も何度も読んでいるため、隠れ家内を歩いてるとアンネの日記の中の記述が頭の中に浮かんできます。 以前倉庫と事務所であったところは展示品があり、そこを抜けていよいよ例の回転式ドアのある部屋に出ます。 このドアをくぐるとき、すごく興奮しました。 彼女達が捕らえられた時、このドアを荒々しく開けてゲシュタポが入り込んできた・・・・・その回転ドアがこれなんだって。 ドアの後は、急な階段が続き、そして隠れ家の部屋に出ます。 ビックリすることに、この隠れ家の部屋、どこも空っぽなんです。 初めは訪れる見学者のためにのけてあり、どこかに保存してるのかと思っていましたが、実はアンネたちが捕らえられた数日後、隠れ家内の家具は全て持ち去られたため、そのまま空っぽ状態になっているのだそうです。 以前のように再現してみてはどうか?という話もあったそうですが、オットー氏が空っぽの状態がオリジナル状態であるということで反対し、そのままになっています。 ただ、アンネが自分に部屋の壁に飾ってあった雑誌の切り抜きはところどころ、そのまま保管されてありました。 こんな窮屈なところで、8人のユダヤ人がひっそりと音を立てないように暮らしていたのです。 窓も全部外から見えないように隠して。 そう思うと気の毒で気の毒でたまりませんでした。 隠れ家内を歩いてる間中、日記内のシーンがいろいろ頭に浮かんできます。 ときどきケンカがあった居間、思慕していたペーターの部屋へはこの階段を上っていった・・・・・・・・・などなど。
隠れ家の前の運河の景色
彼女は自分達が捕らえられた日、最後にこの鐘の音を背にしてこの2年間隠れ住んだ家を去ったのでしょうか・・・・・・・・・・・・・(時間的には合います)
この教会は今も昔も変わることなくここに立っているんですね。
彼女が2度と戻ってくることの無かったプリンセン通りの景色
多分、自分は一生見られないだろうな~と思っていたのに、思いがけなく見学できることになったアンネの家。 他にもいろんな見所がアムステルダムにはあったのですが、私にとってはこのアンネの家を見学できたことが一番感激でした。
このサイトではアンネの隠れ家をビジュアルに訪ねることが出来ます http://www.annefrank.org/content.asp?PID=908&LID=3
アンネを初め、ユダヤ人たちの第2次世界大戦中の運命については、私の過去ブログをご参照ください フランス・アルザスのナッツヴィラー強制収容所 http://plaza.rakuten.co.jp/kleinerhamster/diary/200808240000/ ベルリン郊外のザクセンハウゼン強制収容所 http://plaza.rakuten.co.jp/kleinerhamster/diary/200906120000/
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Last updated
2009.12.15 07:38:33
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