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カテゴリ:歴史その他
「歴史は二度繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」
この言葉は、叔父さんの大ナポレオンを真似して帝位についたナポレオン三世に対する皮肉をこめて、マルクスがヘーゲルから引用した言葉ですが、最近のロシアの様子を見ていると、まさにこの言葉がぴったりします(もっとも、まだ「喜劇」かどうかまでは分かりませんが) 前世紀末の前のソビエト解体を「偽装倒産」だと評した人がいます(確かジジェクだったような)。まず旧ソビエトの足を引張っていた辺境地域を切り離し、次に市場経済の導入によって採算の取れない経済セクターを国家から切り離す巨大な「民営化」改革を行い(その一方で石油などの重要な資産は国家のもとに事実上とどめておきながら)、革命の遺産である「労働者国家」という建前上、どうしても切り捨てることができなかった労働者の様々な経済的権利を剥奪することで、ロシアは復興を遂げつつあります。共産党による一党独裁は解体し、一時的には報道の自由や一般の国民の政治的な自由が確保されたかのように思われました。しかし、それもいまや危機に瀕しているように見えます。結局、損をしたのはたとえ建前だけとはいえ国家の主人公であった地位から追われ、本物の「負け組み」に追い落とされた一般の国民だけだった、というようなことに今はなっているように思えます。 「偽装倒産」という言葉は、このような状況をあらわすのにまさにぴったりした言葉す。もちろん「偽装倒産」というのは結果からみた比喩であり、旧ソ連の官僚たちが最初からそんなことを目論んでいたわけではないでしょう。 でも、軍部がゴルバチョフを監禁して始めたクーデターが失敗したときに、おそらく目端の利く連中は、「民主化」なんて適当にやらせておけばいい、そんなもの、ただのお祭り騒ぎで、どうせ失敗するに決まっている、広大なロシアを効率的に統治する能力を持った者は自分たち以外にいるわけないのだから、いずれ権力は自分たちのところに戻ってくるさ、それまでは舞台裏にひっこんで、せっせと国家の財産=人民の財産を自分たちの名義にこっそり書き換えて資産をしこたまためこんでおこうと考えたのでしょう。 実際、ただ権力欲に取り付かれただけの政治屋で、政治的駆け引きと嗅覚には優れていたものの、一貫した方針のもとで危機を乗り切るために必要な知的能力にも政治的能力にも欠けていたエリツィンがぼろぼろになって退陣すると、状況はまったくそのとおりになりました。アメリカなどは、エリツィンを民主化の旗手のように持ち上げていましたが、実際には彼のもとで、旧特権階層の政治的な復権と地盤の固め直しが着々と進んでいたのではないかと思います。 どういうわけでエリツィンがプーチンを後継に指名したのかは分かりません。旧KGB出身というプーチンの経歴になにやらきな臭いものはあったものの、とにかく当時どん底にあったロシアを立て直すにために必要な強い意志と力を持った人物として、彼は期待されていたように思います。 しかし、プーチンに対して批判的なジャーナリストや政治家、元の部下などが次々と奇怪な死を遂げるという現在の状況には、メキシコでのトロツキー暗殺で終了した、1930年代のスターリンによる「大粛清」をまざまざと思い起こさせるものがあります。この大粛清によって、スターリンは自分よりも知的で、かつては自分よりも上にいたレーニンの優秀な戦友たちを皆殺しにし、自分がレーニンの唯一の忠実な継承者であり、レーニンに最も近く最も信頼されていた人間であるという嘘っぱちの伝説を作り上げて、自分の権力基盤を確固たるものにしたわけです。(この点では、金日成=金正日親子は、まさにスターリンの忠実な弟子であります) 学生の頃、国民文庫の「国家と革命」などの巻末の人名索引で、ジノヴィエフ、カーメネフ、ブハーリンなど、レーニンに愛され信頼されていた、ほとんどの人物がほぼ同時期にいっせいに死亡しているのを見て、なんとも言えない気分になったものです。(あれって編集者はどういうつもりで付けていたんでしょうね。いまだに謎のままです) 元スパイのリトビネンコ氏の死に対して、ロシア側はポロニウムはリトビネンコ自身が所持していたものだというふうに言っていますが、奇怪な死を遂げたのは彼だけではありません。それに、数年前のウクライナの大統領選でも、似たような話があったことを思えば、ロシア政府筋の関与の疑いは、どう見ても真っ黒けっけです。 ただ、スターリン時代のような茶番裁判だけは、今のところないようだし、規模もはるかに小さなものに留まっていて、その意味ではやはり「二度目は喜劇」なのかなとも思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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