養老さんの文章について、もうひとつ気になるところがあります。
それは、「マルクスが『歴史科学の法則は客観的だ、一つの正しい歴史があるのだ』云々と、背筋が寒くなるようなインチキを言ったあたりからおかしなことになったのである」という箇所です。
養老さんは社会科学者でもマルクス研究者でもありませんから、別段「批判」するというような筋合いのものではないんですが、ちょっと一言だけ。
養老さんは、たぶん年代的にみて、学生時代とかにどっかの党が出していた入門書なんかの類を読まされて、これはあかんと思ったくちなのだと思います。かつてはこういう理解が一般的であり、さんざんに猛威を振るったのは事実です。ただし、マルクス自身がそんなことを言ったというのは、ちょっと違うと思います。
こういう理解は、例えば「マルクスの葬送にあたって」というマルクスの墓の前での演説で、エンゲルスが「ダーウィンが有機界の発展法則を発見したように、マルクスは人類史の発展法則を発見しました」と言ったことなんかに根拠があるのだと思います。しかし、マルクス自身はそういういささか乱暴なことを言ったことはないだろうと思います。実際、「経済学批判」の「序言」の中の社会の「実在的土台」と「法律的および政治的上部構造」、さらに「社会的諸意識形態」の関係を述べた、いわゆる<唯物史観>の定式について、マルクスは「研究のための導きの糸」としか表現していません。
また、晩年にロシアの女性革命家ザスーリッチに宛てた手紙の中では、ザスーリッチの「ロシアの資本主義化は必然的か」という質問に対して、「だから、この運動(資本主義的生産様式の創出のこと)の「歴史的宿命性」ほ、西ヨーロッパ諸国に明示的に限定されているのです」と答えて、自分の研究がそのままロシアに適用できるかどうかについては明確に留保しています。つまり、マルクスは、自分がいつでもどこでも通用する単一の「歴史法則」を発見したなどとは言っていないのです。
歴史の法則性をどこまで認めるかについては、いろいろ議論があると思います。しかし、なんらかの法則性があることは否定できないでしょう。でなければ、歴史は単なる偶然の集積であって、読み物としては面白いかもしれないけど、そこから何かを学ぶことなどできないし、その必要もないということになります。
しかし、いずれにしても具体的な人間の行為がなければ歴史は存在しません。ですから、「歴史の法則」といったって、それは人間の外に存在するわけではありません。ただし、人間が自分たちの行為について無知であったりすると、その結果はあたかも客観的な物理法則のように人間自身にかえってきます(ちょうど、「郵政選挙」での投票行動の結果のように)。
また、マルクスが自分がいつでもどこでも通用する単一の「歴史法則」を発見したなどと思っていたのなら、いい年した晩年になってまで、インドやロシアの共同体、土地所有の形態などについて一生懸命研究する必要などなかったことになります。「資本論」だって膨大な草稿ばかりの未完で終わらず、ちょちょいのちょいで書き上げられていたでしょう。
単なる年代記ではない、具体的で詳細な歴史研究は、いうまでもなく一次資料に依拠します。そのような資料は、当然ながら最初から出来合いで与えられているわけではありません。新しい画期的な資料が発見されたり、あるいはそれまでの研究が依拠していた古い資料の誤りが見つかったりすれば、そのたびに歴史研究はやり直される必要があるでしょう。そんなことは、マルクスにとっては当たり前のことで、だからこそ彼は最後まで研究をやめなかったのだと思います。
マルクスの理論を出来合いのものとしてうけとめ、それをあらゆる病気に通用する「万能薬」のように振り回すしか能のない弟子どもに対して、マルクスが「こんな連中がマルクス主義者なら、おれはマルクス主義者じゃない」と嘆いたというのも有名な話ですね。