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カテゴリ:社会
人間の生存に必要な労働時間が、技術的発展によって一貫して短縮されてきたことは誰もが認める事実だ。電子ジャーや電気洗濯機はもちろん、水道すらなかった時代には、一家の主婦は誰よりも早起きして井戸から水を汲み、お湯を沸かし、お米をといでご飯をたき、お味噌汁を作って家族の朝食の用意をしたものだろう(もちろん、今でも世界には、一本の薪を集めるため、一杯の水を飲むために何キロも歩かねばならないような社会が現実に存在します)。
「資本論」に描かれたような時代には、労働者の12時間を越える労働は当たり前だった(もちろん、生産が急激に拡張していて、労働者の権利よりも企業の利潤の方が優先されているような地域では今でもそうでしょう)。19世紀にイギリスの労働者らが人間らしい生活を求めて労働時間の短縮を要求したとき、工場主らは、そんなことをしたら自分たちは破産すると騒ぎ立てたものである。 民衆の生活水準が上がるということは、生きていくうえでの最低限の生活に必要な財貨を超える財やサービスが必要になるということだ。人々はラジオが発明されればラジオが、テレビが発明されればテレビが欲しくなる。技術の発展によって新しい製品が発明され、そのような製品がやがて大量生産によって社会全体に普及する。そのこと自身は誰にも止められない。家庭におけるラジオやテレビの存在は、当然ながら今ではこの国の憲法25条で定められた「文化的で最低限度の生活」という範疇の一部である。それはいうまでもなく当然であり、正当なことだ。 文化的な生活とは、当然それまでになかったような新らしい便利な道具などを所有することを意味する。人々の生活水準が上がり、それに応じて需要が高まれば、それまでには必要なかった財をそれまでよりも大量に生産することが必要になる。だから、技術的発展による必要労働時間の短縮は、必ずしも労働者にすべて還元されるものではない。とはいえ、技術の発展は、そのような新たな需要の創出による労働時間の延長をはるかに上回るものだ。だからこそ、少なくとも「先進国」においては一定の労働時間の短縮が実現されてきた。 しかし、現実はそんなに簡単なものではない。経営者は金を出して人を雇っているわけだから、当然なるだけ多く働かせて財やサービスを生産させたいと思う。それに、人を使うということは人を支配するということだ。休みを取っている労働者は、当然その間彼の支配を免れているわけで、支配欲が強いタイプの経営者にとってはこれは耐えがたいことに違いない(こういう家父長タイプの経営者って、日本には多いんじゃないですか。だから、慰安旅行だとか忘年会、新年会だとか口実をつけては、従業員の休みの過ごし方にまで口を出してくるのでしょう)。 本当をいえば、今の社会生活の維持に必要な労働時間はずっと少なくてすむはずだ。しかし、それでは困るから人為的に欲望を刺激して、需要を作り出し、それを理由にさらに労働者をこき使う。また、労賃や生産費の低い発展途上国との競争を理由にして、低賃金長時間の労働を強いる。しかし、世界の人口の圧倒的多数を占める中国やアジア諸国が豊かになることは当然のことだ。彼らにはその権利がある。世界の人口のわずか0.2%を占めるに過ぎないこの国が世界有数の経済大国を誇っているということは、本当はおかしなことなのだ。 競争や市場原理によって価格が低下し、消費者に最適な価格の財やサービスが提供されるようになると、一部の政治家や学者は言っている。しかし、巨額の遺産を親から相続したような人や莫大な利益を株で得たような人を除けば、世の中にはたんなる消費者なんていやしない。大多数の人が、なんらかの形で生産に携わり、それによって所得を得ているのだ。だから、そういう競争や市場原理は巡り巡って自分自身に降りかかってくる(今はまだ、タクシーやトラックの運転手、大企業の下請工場のような、社会の一部に限られているように見えますが)。要するに競争や市場原理によって最終的に浪費され廃棄されるのは、「労働力商品」である人間自身なのだ。 今までわき目もふらずに働いてきた人が、人生は働くことだけじゃないということに目覚めることはいいことだ。それは、応援したいと思う。しかし、この国では余暇だって、網の目のように張り巡らされた資本の手から逃れることはそう簡単じゃない(というか、不可能か?)。 この国が市民社会として「成熟社会」であるということは確かだろう。しかし、歌の文句じゃないけれど、「表があれば裏もある」というものだ。進歩には退化が、そしてまた啓蒙にはつねに野蛮がよりそっている。ナチズムという野蛮を目撃したアドルノとホルクハイマーはそう考えたが、ファシズム敗退後の世界ははたして彼らのテーゼを現実によって反駁しているだろうか。 最後に一言。 成熟した柿はやがて腐って落ちます。熟成したワインはやがて苦い酢になり、熟成した肉は腐臭を放つようになります。 さて、そうすると成熟した社会はやがてどうなるのでしょうか(これはもちろん私にも分かりません)。 反省:今日はいささかアジテーションをやっちゃいました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.01.09 04:51:52
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