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カテゴリ:ギリシア哲学
 エピクロスは、原子が空虚の中を三つの方法で動くと考えている。まず原子は直線的に落下する。次に原子は直線からそれて動く。第三の運動は、多数の原子の反発によって生じる。最初と最後の運動については、デモクリトスもエピクロスも同じように考える。エピクロスがデモクリトスと異なるのは、原子の直線からそれる動き(デクリナティオン)を想定しているところにある。

 これは、マルクスが22歳のときにイエーナ大学に提出した、「デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異」という学位論文の一節です。引用は、筑摩書房の「マルクスコレクション I」に基づいています。訳しているのは中山元さんです。

 エピクロスは一般に「快楽主義」の哲学者と言われていますが、彼の言う快楽とは酒池肉林のごとき肉体的快楽ではなく、現実のわずらわしさから解放された精神的な快楽=幸福のことを言います(こういうことは、高校で「倫理社会」を学んだ人にとってはもちろん常識の範囲でしょうが)。

 彼はそのような状態のことを「アタラクシア」と呼んでいます。

 一方、エピクロス派と対比されるストア学派のほうでは(ストイシズムとかストイックとかの語源です)、激情から解放された精神の平安を理想として「アパティア」と呼んでいます。これはアパシー(apathy)という言葉の語源で、現代では三無主義(無関心、無感動、あとひとつはなんでしたっけ? 無表情? おっと、違いました。今調べたら、「無気力」「無関心」「無責任」の三つだそうです)を連想させる、否定的な言葉になっていますね。

 両者とも、ギリシア世界がアレクサンドロスの遠征によってポリスというちんまりとした市民共同体の集合から世界帝国=ヘレニズム世界の単なる一部に変貌したことを受けています。

 ソクラテスが若者を惑わしたと言う罪で告発され有罪を宣告されたときに、「悪法も法である」と言って逃亡も脱獄も拒否し毒を飲んだ話は有名ですね。しかし、この言葉の背後にあるのは、小規模な市民共同体であるポリスを理想とし、そのようなポリスによる決定を正邪を問わず守ることは、市民としての自分の義務であるという彼の考えでしょう。ですから、本来この言葉は、市民共同体による直接統治というポリスのあり方と結び付けて解釈されるべきなのだろうと思います。また、この言葉は「悪法」に対する批判や抵抗を封じるものでもありません。ソクラテスは自分の無実をあらゆる機会を使って積極的に主張したうえで、最終的な決定を自身もその一部である共同体の意思として受け入れているのですから。

 このような市民共同体が世界帝国の中に溶解し、公共生活への市民の参加が閉ざされたところに成立したのが、「アタラクシア」や「アパティア」を理想とし、個人的な徳や精神の平穏を重視するエピクロス主義やストア主義だということになります。

 ストア主義のほうがローマ世界に受け継がれて、セネカ(暴君ネロの家庭教師を務め、のちにこの教え子から自殺を命じられた人です。安倍晋三現首相の家庭教師だった平沢勝栄さんの運命も、ちょっと気になるところですが)や哲人皇帝と呼ばれるマルクス・アウレリウス(五賢帝の一人でもあります)を生んだのに対して、エピクロス派のほうは、詩の形式でエピクロス哲学を説いた「物の本質について」を書いたルクレティウスぐらいしか後継者はいません。まあ、そのことがエピキュリアン=快楽主義者という後生の誤解を生んだ原因の一つなのでしょう。

 さて、なんでこんなことを書いているのでしょう。

 実を言うと、「M17星雲の光と影」さんの「平方根の法則」(2006.09.28)に書かれていた、福岡伸一さんのブラウン運動に関する説明に触発されたからです。

M17星雲さんは(勝手に略してすみません)、次のように書かれています(勝手に引用してすみません)。

こういう微粒子の運動する様を観察すると、すべての粒子が同じ方向へ動いているわけではないことがわかる。中には重力に逆らって上に向かって動いたり、多数派とは逆の方向に、すなわち濃度の低い方から高い方へと移動している粒子も観察される。しかし、統計学的に処理すると、そのような「はぐれもの」粒子の頻度は「平方根の法則(ルートnの法則)」に従うそうである。たとえば100個の粒子が運動するとき、10個程度の粒子は平均的な動きから外れたふるまいをする。これは統計学から純粋に抽出される法則だそうだ。

 で、この部分を読んで、それってエピクロスが2000年前に言った「原子の直線からそれる動き」とぴったしじゃないって、思ったのです。

 エンゲルスは「最初の素朴な見方は、概して後の時代の形而上学的な見方よりも正しい」(たぶん「反デューリング論」あたりでしょう)と言っています。実際、地球球体説も地動説も、すでにこの時代に提出されているのですからね。これはすごいことです。





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Last updated  2007.10.14 05:49:40
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