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カテゴリ:歴史その他
あまり時間が取れないので、簡単に短く書きます。

 歴史の記述に使われる概念は、それ自体が多かれ少なかれ歴史的な性格を帯びています。

 「古代奴隷制」とか「封建制」、「絶対主義」、「市民革命」、あるいは「ファシズム」についてもそうです。たとえば「古代奴隷制」という概念はギリシア・ローマ世界から抽象された概念であり、「封建制」はヨーロッパ中世の領主制から抽象された概念です。「絶対主義」や「市民革命」といった概念がヨーロッパの歴史から取り出された概念であることはいうまでもないでしょう。

 世界史というものが本当の意味で形成されたのは、つい最近のことに過ぎません。「古代奴隷制」にしても「中世封建制」にしても、本来その世界は非常に限定されたものです。

 それに対して、「資本制的生産様式」というものは始めて世界を統合し、世界史というものを現実のものにしました。ですから、この概念は「古代奴隷制」や「中世封建制」といった概念に比べればはるかに普遍的な概念であるということができます。このような資本主義の革命的で世界史的な意義は、「共産党宣言」の中で明確に指摘されています。

 かつて、マルクス主義的な歴史学では「五段階発展説」なるものが真面目に信じられていた時代がありました。これは、すべての民族が、遅い早いの違いはあっても、みな一様に「原始共産制」から「奴隷制」、「封建制」というように同じ系列をたどって進化していくという理論です。そこで、日本史のいつからいつまでが「古代奴隷制」にあたり、いつからいつまでが「中世封建制」に当たるかというような議論が、口角泡を飛ばして論じられるといったことになりました。

 とはいえ、そのような議論がすべて無駄だったというわけではありません。一つの理論の無効性が確証されたということも、それはそれなりに一定の成果だということができます。それに、そのような議論の中で、結果的にいろいろな具体的な歴史的事実が掘り起こされてきたということもあるでしょうから。

 しかし、このような単純で図式的な「単線的歴史理論」には、当然のことながら無理があります。そこで登場してきたのが、「発展段階飛び越し論」というものです。しかし、これは単線的な発展段階論の単なる修正にしか過ぎません。マルクスが「経済学批判」で提起した発展段階に関する歴史的な概念を、そのまま「普遍概念化」しているという意味では同じことです。

 たとえば、太陽系の惑星の数を、将来の観測結果に関係なく、9個だ、いや10個だとか決め付ける天文学者を、まともな学者だと思う人はいないでしょう。

 歴史についても同じことが言えます。マルクスが言ったことは、あくまで彼自身の研究成果を概括したものであり、それ以上ではありません。そのまま、普遍概念として別の地域や民族の歴史に利用できるものではありません。その点で、エンゲルスの「家族・私有財産・国家の起源」には、いささか歴史の発展を単純化しすぎ、後世の一元的な「発展段階論」への道を開いた誤りがあるように思います。

 現実の様々な地域の歴史は、そのような出来合いの概念にすっぽり収まるようなものではありません。とりわけ、今日のように世界が一つに統合されていなかった時代、それぞれの地域や民族が互いに孤立していた時代へと遡れば遡るほど、それぞれの多様性は大きくなります。

 むろん、条件が似ている場合には、一定の類似性を見て取ることも可能です。新大陸で先住民の社会に触れたヨーロッパ人の中には、きっとカエサルの「ガリア戦記」に描写されたケルト人やゲルマン人の様子などを思い起こした人がいたことでしょう。古代ギリシア神話と日本の古代神話にも、たしかに似たような点があります。オルフェウス神話と、イザナギが黄泉の国までイザナミを追っかけていった話なんて、びっくりするくらいに似ています。
 
 しかし、具体的な歴史的世界の抽象から得られた概念は、あっちからこっちへとまるで植木でも植え替えるように任意に移植できるものではありません。そこには、おのずと制限があります。

 歴史学で使われる概念は、様々な歴史を上手に分類して、これはそっちこ、あれはそっちみたいに現実の歴史を手際よく整理するためのものではありません。便利な「整理箱」のような、中身のない単なる「説明的な概念」ではないのです。これは、むろん「ファシズム」という概念についても言えることです。


ああ、やっぱり長くなってしまった。





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Last updated  2007.02.15 03:59:14
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