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カテゴリ:マルクス
これは、『経済学批判』 の序言にある、一般に 「唯物史観の定式」 と言われる一節である。この一節で使われている 「社会的生産」 や 「生産諸関係」、「社会的諸意識形態」 といった様々な言葉についても、たとえばフランスで言えばアルチュセールが試みたように、厳密性を目指した煩瑣な議論をすることは可能だろう。 しかし、もっと大事なことは、ここでマルクスが言っていることが、どのような具体的な社会的事実と対応しているかを考えることである。「少なくとも心に確実な実例をもたぬまま、三頁以上を書きとばしてはならぬ」 と、アメリカの社会学者ライト・ミルズは言ったが、ここでのマルクスの記述は、まさにそういった具体的な社会的事実を念頭において読まれなければ、なんの意味も持たない。 たとえば、「人間の意識が彼らの存在を規定するのではなく、逆に彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである」 という上の言葉は、しばしば 「意識が存在を規定するのではなく、存在が意識を規定するのだ」 というように、簡略化されることがある。だが、よく考えてみれば、この二つの命題は同じではない。「社会的存在」 という言葉についている 「社会的」 という言葉は、ただ無駄についているわけではあるまい。 マルクスの命題が、後者のようなたんなる唯物論一般の基本原理に還元されて受け取られるようになったのは、たぶんレーニンの 『唯物論と経験批判論』 あたりの影響なのだろうが、それとこれとはまったく違う。(ちなみに、レーニンはこの本の中で、「哲学に関しては自分は素人だ」 といちおう断っている) かりに、この言葉の意味が、たんに資本家は資本家としての意識を持ち、労働者は労働者としての意識を持つということに過ぎないとすれば、それはほとんど意味を持たない。中国や北朝鮮などで行われている、国民をもともとの出身階級で差別するという政策は、たぶんそのような理解を根拠としているのだろうが、これは実に変な話だ。 ある個人がどのような環境で生まれ育ったかは、その人が責任を負える問題ではないのだから、いつまでもそんなことで差別されてはたまったものではない。では、マルクスは本当にそんな阿呆なことを言ったのだろうか。 おそらく、このマルクスの言葉は、これより15年ほど前に書かれた 「フォイエルバッハ・テーゼ」 の中の、「人間的本質は、個々の個人に内在するいかなる抽象体でもない。人間的本質は、その現実性においては、社会的諸関係の総体である」 という、これもまた有名な一節と対応している。 「社会的存在」 とは、辞書的に言うならば 「社会的に規定された存在」 ということになる。それは、つまり様々な 「社会的関係」 によって規定されている存在ということと同じ意味だ。この 「テーゼ」 は、しばしば具体的な個人を 「社会」 に解消し、人間の個性を無視するものだというように批判されることがあるが、それは見当違いの批判というべきだろう。 現実の社会は、けっしてのっぺらぼうな均質のものではない。個人をめぐる 「社会的諸関係」 はけっして一様なものではなく、その個人が置かれている位置によってそれぞれ異なっている。だから、いわゆる遺伝的要素を別にすれば、上の 「テーゼ」 では人間の個性が抹殺されるどころか、そのような個性がなぜ生まれてくるのかもちゃんと説明されている。 もっと、具体的に考えてみよう。 人間は、様々なレベルで、また様々な形式で社会的に規定されている。それは、けっしていわゆる 「生産関係」 だけに解消されない。ある個人が、どのような時代に、どのような地域のどのような家庭に生まれ、どのような教育を受け、どのような師を持ち、どのような友人と付き合うか、そしてどのような経験をしながら成長していくのか、こういったことのすべてが、その個人を規定することになる。 たとえば、同じ親から生まれ同じ家庭に育った長男と次男でも、まったく性格が異なるというようなことがしばしば見られるが、それもまた長男と次男では、祖父母や両親の期待の程度はもちろんのこと、周囲の目や扱いなど、その個人をめぐる社会的な環境が異なることにも原因があるだろう(いうまでもなく、長男に対する、あるいは男子に対する親の 「期待」 といったものも、単なる家庭の問題ではなく、社会的に規定されている)。 上のテーゼの中の 「社会的諸関係」 という言葉がそもそも複数形になっていることを見てもわかるように、マルクスはそのような個人をめぐる様々な関係の複雑さをけっして無視してはいない。だから、このテーゼについての問題は、しばしば言われるような 「教条的な適用」 などではなく、そもそもこのテーゼが具体的な社会的事実に即して理解されてこなかったところにあるというべきだ。 身体という人間の物理的存在が日々物質的な代謝と細胞の分裂によって変化しているように、その 「社会的存在」 もまた、人が様々な経験を経ていく中で同じように変化しているのであり、それに応じてその人の意識も変化していく。 だから、たとえばアウシュビッツや広島での悲惨なできごとを知って涙を流した人は、まさにそのような関係の中に置かれ、そのような経験をすることで、その 「社会的存在」 も変化し、同時に意識も変化したということになるだろう。 マルクスが使用している理論的概念は、つねに具体的な現実と照応している。それは、現実の一面だけを抜き取ってこねあげたようなものではない。また、概念それ自体を抽象的に実体化するようなことも、彼はけっしてやっていない。 マルクスが社会と歴史についての自分の理論を唯物論的と読んだのは、それが抽象的な理念などではなく、なによりも具体的で現実的な諸個人の生活に基づいているということであり、それ以上でもそれ以下でもない。 その点が、頭の中だけにしか存在しない概念や、他人の本から学んだことだけを組み合わせて、「体系」 だの 「一般理論」 だのといった、壮大ではあるが中身のない空疎な理論をでっちあげたがる、「マルクス主義者」 を自称してきた数多くの不肖の弟子どもや、その他の者らとの本質的な違いということになるだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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