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カテゴリ:マルクス

 一昨日、散歩がてらに立ち寄ったBook Offで、ちくま文庫の 『大菩薩峠』 第一巻を105円で購入した。表紙には、若くして亡くなった時代劇スター、市川雷蔵のぞくりとするような冷たい横顔が写っている。亡くなったのは1969年だとかで、それほど記憶には残っていないが、柴田練三郎原作の 『眠狂四郎』 のほうは、何作か深夜放送などで見たことがある。

 音無しの構えの机龍之介も、円月殺法の眠狂四郎も、いずれ劣らぬ血も涙もない冷酷無比なヒーローであるが、こういう表情のできる俳優というのは、今なら誰がいるだろうか。沖雅也が不可解な自殺を遂げてから20年以上たつが、彼ならこういう役にぴったりだったかもしれない。 

 30年近く書き継がれながら未完に終わった、この全40巻にのぼる大大長編小説の作者、中里介山は、もともと堺利彦や幸徳秋水がはじめた 「平民新聞」 で登場した人である。こういう虚無的なヒーローの登場には、やはり当時よく読まれていた、ロシア文学などの影響が強いのだろうか。

 ニヒリズムを最初に虚無主義と訳したのが誰なのかは、ざっと調べてみたが分からなかった。同じように平民社にいた石川三四郎あたりではないか、という気もするが、確証はない。いずれにしてもよくできた訳語であり、昨今のようになんでも意味不明なカタカナにしてしまう怠惰な翻訳家とは、大違いである。

 さて、この大大長編の冒頭は、次のように始まる。

 大菩薩峠は江戸を西にさる三十里、甲州裏街道が甲斐国東山梨郡萩原村に入って、その最も高く最も険しきところ、上下八里にまたがる難所がそれです。

 標高六千四百尺、昔、貴き聖が、この嶺の頂に立って、東に落つる水も清かれ、西に落つる水も清かれと祈って、菩薩の像を埋めて置いた、それから東に落つる水は多摩川となり、西に流るるは笛吹川となり、いずれも流れの末永く人をうるおし田を実らすと申し伝えられてあります。


 舞台となる場所の説明からはいるのは、当時の小説の定型なのかもしれないが、なんとなくこの部分には、「木曾路はすべて山の中である」 という、島崎藤村の 『夜明け前』 の出だしを思わせるものがある。もちろん、作品の順番は逆だが。

 ところで、この冒頭の少し先に、次のような一節がある。

 これらの人は、この妙見の社を市場として一種の奇妙なる物々交換を行う。

 萩原から米を持って来て、妙見の社へ置いて帰ると、数日を経て小菅から炭を持って来て、そこに置き、さきに置いてあった萩原の米を持って帰る。萩原は甲斐を代表し、小菅は武蔵を代表する。小菅が海を代表して魚塩を運ぶことがあっても、萩原はいつでも山のものです。もしもそれらの荷物を置きばなしにして冬を越すことがあっても、なくなる気づかいはない――大菩薩峠は甲斐と武蔵の事実上の国境であります。


 こういう交易の仕方は、人類学では 「沈黙交易」 と呼ばれているそうだ。たとえば、歴史の父といわれるヘロドトスの 『歴史』 には、次のような記述が残っている。

 「ヘラクレスの柱」 (ジブラルタル海峡の両岸のこと)  以遠の地に、あるリビア人の住む国があり、カルタゴ人はこの国に着いて積荷をおろすと、これを波打際に並べて船に帰り、狼煙をあげる。土地の住民は煙を見ると海岸へきて、商品の代金として黄金を置き、それから商品を並べてある場所から遠くへさがる。

 するとカルタゴ人は下船してそれを調べ、黄金の額が商品の価値に釣合うと見れば、黄金を取って立ち去る。釣合わぬ時には、再び乗船して待機していると、住民が寄ってきて黄金を追加し、カルタゴ人が納得するまでこういうことを続ける。双方とも相手に不正なことは決して行なわず、カルタゴ人は黄金の額が商品の価値に等しくなるまでは、黄金に手を触れず、住民もカルタゴ人が黄金を取るまでは、商品に手をつけないという。 

 
 中里が上の一節を記したのに、どれほど深い意味合いがあったのかは分からない。単に奇妙な習慣ということで興味を持っただけなのかもしれないが、さすがにいい目をした人だったのだろう。下の引用は、商品交換の起源についての 『資本論』 の一節である。

 商品交換は、共同体の終わるところに、すなわち、共同体が他の共同体または他の共同体の成員と接触する点に始まる。しかしながら、物はひとたび共同体の対外生活において商品となると、ただちに、また反作用をおよぼして、共同体の内部生活においても商品となる。


 中里が 『大菩薩峠』 の執筆を開始したのは、高畠素之などによる 『資本論』 の翻訳が出るよりも前のことであり、まさに介山おそるべしである。 

 ちなみに、この大大長編小説は、なんと全巻が青空文庫に収録されていた。ウェブでだれもが無償で読めるようにと、これだけ長大な小説を入力し校正された方の努力には、まことに頭が下がるのみである。






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Last updated  2007.11.29 06:22:08
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