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カテゴリ:雑感
少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず などというと、おいおい、もう手遅れだよ、なんて厳しい突込みがはいりそうだが、まあ、まだ老いるというところまではいっていないから(と思うから)、完全に手遅れというわけでもあるまい。 とはいえ、やっぱり少年とはお世辞にも言えないのも確かなのである。 少年ですら一瞬のときを大切にしなければならないとすれば、もはや少年とは言えないわが身としては、ますます時間を大切にしなければならぬということになろう。 つらつらと考えてみると、いつのまにやら太宰が自死した歳はむろんのこと、三島由紀夫が腹を切った歳すらも越えているのである。 それに気が付くと、「ああ、なんたることよ」と、おのれの浅学菲才ぶりを天を仰いで嘆くしかないのである。これは神を恨むべきか、はたまた父母や師を恨むべきなのか。いやいや、他人のせいにしてはいかんですね。 まあ、それはともかくとして、ただ同じところをいつまでもぐるぐるとまわり、いつも同じ結論しか出てこないようなことを言っていても仕方ないと思うのだ。 「自己確認」なんてことは、若い人に任せておけばいいし、というか、わざわざ確認すべきほどの自己なんてどうせないと言うべきなのか。 いずれにせよ、人生は一瞬であり、時間は有限であるからこそ、ときには思い切って、自分がそれまで学んできたことや信じてきたことも、ぽーんと投げ捨てみたらどうだろうなんて、無茶なことも考えてしまうのである。 いつのまにか、なんやかんやの重荷を背負い込み、気が付くと足元ががちんがちんに固まっていて身動きできなくなっていた、なんてことになったらおしまいですから。 なんたって、世界は広いのだから。 ところで、冒頭の詩、たしか朱熹の作と習ったような気がするのだが、そうじゃないって説もあるみたいです。 はたして真相はいかに お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.03.30 22:39:54
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