渡辺京二の 『日本コミューン主義の系譜』(1980)に収められた 「ローゼンベルクとマルクス」 という短文に次のような1節がある。
ローゼンベルクが批判をレーニンへ、さらにマルクスへと遡らせる際の視座は、一口に言ってしまえば労働者民主主義である。(中略) しかし「人間共同体の自由な自主的決定を欠いた社会主義などは、およそ考えられぬ。なぜなら社会主義は、国家を死滅させてゆく自由の王国なのだから。大衆を服従させる超官僚的強制機構は、社会主義社会とは相容れぬものであり、ブルジョア的な制度であるとしか言いようがない」と説くとき、彼は今日のユーロコミュニズムなどより少しばかりラディカルである。
このラディカリズムは当時のルクセンブルグやコルシュらのドイツ左派マルクス主義者、あるいは間接的にはアドルノ、ベンヤミンらのフランクフルト派との同時代的共有物であると同時に、その遠い背景には、独立独行する批判的知性を成立せしめた西欧の長い精神的伝統がある。その伝統はマルクス主義であれあらゆる思想を冷徹な視線で対象化する。その視線は一切の思想の教説化を許さない。つまり彼らには頭脳を党派やお師匠さんに支配されぬ頑固な習性が確立していて、それがこの連中のいかんともしがたい手強さなのである。
ここで渡辺京二が取り上げているのは、『ボルシェヴィズムの歴史』(晶文社)というローゼンベルクの著作である。ローゼンベルクというと 『20世紀の神話』 を書いたナチスのイデオローグにもいるが、あちらはアルフレート・ローゼンベルクという。こちらのローゼンベルクはアルトゥーア・ローゼンベルクといって、ローザの死後に設立されたドイツ共産党に参加しながら、その数年後にはソビエトの外交的道具と化したコミンテルンを批判して脱党した人物である。ほかには 『ワイマール共和国史』 などの著作もあり、いわゆる西欧マルクス主義者(メルロ・ポンティ 『弁証法の冒険』)の一人と言っていいだろう。
この 『ボルシェヴィズムの歴史』 は1932年の著作であるか、渡辺は自分が 「おぎゃあと生まれてまだ三年目に」 これだけの著作が書かれていたことについて、「ローゼンベルクの属する西欧的知の地平では、1932年にここまで解析され清算されていた神話と教説に、私などが戦後十年間も呪縛されねばならなかったとは、これはいったいどういう落差だろうか」 というふうに慨嘆している。
渡辺が使っているユーロ・コミュニズムという言葉もすでに古びた感はあるが、そのことを除けば渡辺の言葉自身は古びてはいないと思う。渡辺京二もまた戦後の正統左翼の呪縛に一時期とりつかれたことがあるというのは、この世代の人には珍しくはないのだから、ご愛嬌のようなものだろう。
ロシア革命の圧倒的な影響のもと、荒畑寒村や堺利彦が中心になって1922年に結成された第1次共産党が関東大震災での大杉栄らの虐殺のあおりであっけなく解党した翌年には、再び荒畑を中心に第2次共産党がひそかに旗揚げするわけだが、そこへ新理論を引っさげて颯爽と登場したのがドイツ帰りの福本和夫である。
当時なぜ福本イズムが一世を風靡したかというと、もちろんヨーロッパ仕込みの知識で日本のマルクス研究の水準を一気に引き上げたという側面もあるにはあるが、本当の理由は、堺や荒畑、山川均などの平民社以来の古株と一線を画すことを欲していた若い世代の内心の願望とタイミングよく一致したからではないかと思う。
古い伝統と決別するためにことさらに新しい理論に飛びつくというのは、なにも珍しいことではない。戦後、共産党からいっせいに分かれたグループが、トロツキーやローザ、あるいは宇野経済学や広松哲学などを理論的支柱としたことにも同じようなことが言えるだろう。つまり、こういう場合、たいていはただほかのグループとの違いさえ付けられれば、なんでもいいのである。
それはともかくとして、この国の左翼の大部分がソビエトや中国などの 「社会主義神話」 に長い間呪縛されてきたのは事実である。そこには渡辺が指摘しているような、この国のマルクス受容の歴史と底の浅さもあっただろうが、結局は、権威にころりとまいりやすいとか個よりも集団性を重きを置くとかいった精神風土のせいというべきだろう。
実際、せっかくくだらぬ呪縛が解けかけたかと思ったら、お隣の国の 「文化大革命」 とやらの影響で、あっけなく先祖がえりしてしまった連中も大勢いたわけで、こういう愚かさはまったく始末に負えない。
「創造的破壊」 というのは、たしかもともとバクーニンの言葉ではなかっただろうか。彼のアナキズム理論はともかくとして、この言葉はなかなかいいものだと思う。新しい芽は灰の中からしか生まれない。だから、とうに化けの皮が剥がれていた 「社会主義神話」 が崩壊したことなどは、むしろ歓迎すべきことなのである。どこかの党中央の命令でいっせいに右を向いたり左を向いたりする 「左翼の陣営」 なんてものは、さっさと消滅したほうがいいに決まっている。
下らぬものばかりを批判していると、いつのまにか自分も同じ下らなさに感染してしまうということもよくあることである。なぜなら、下らぬものを批判することぐらい簡単なことはないからだ。宮台の言う 「左翼の嘘」 などといういまさらのような馬鹿話は、それこそしたり顔で愚かなことを言う無知な者どもにまかせておけばいいことだろう。
そもそも、政治的行為というものには、いつの時代にも愚行はつきものなのだ。それは、政治や社会というものが必然的にはらむ矛盾と言ってもいいだろう。なにも居直るわけではないが、その程度のことは、少しでもなにかに携わった経験のある者ならば誰だって知っていることだろう。根底を問わぬ表層的な批判など、批判の名にも値せぬことだ。