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カテゴリ:歴史その他

 最近、なぜだかどういうわけだか、ユダヤ人問題に関する新書を三冊続けて読んだ。一冊目は、内田樹氏の 『私家版・ユダヤ文化論』、それからあとの二冊はずっと古いサルトルの 『ユダヤ人』(1956) と、ドイッチャーの 『非ユダヤ的ユダヤ人』(1970) である。もっともあとの二冊は、書棚の奥で十年以上も眠っていたのをたたき起こして読みなおしたのであるが。

 アイザック・ドイッチャーという人は、『武装せる予言者』 に始まるトロツキー三部作やスターリンの評伝などを著した、ポーランド生まれのユダヤ系マルクス主義者である。また、膨大なソビエト史研究を残した E. H. カーとの交友でも知られている。

 かれが亡くなってから、すでに40年たつ。スターリンの統治に対しては否定的であっても、そのもとでの近代化は評価し、市民の成長による社会主義の再生という歴史の弁証法に期待するというのが、かれの基本的な立場であったと思うが、その後の歴史の展開は、かれの予測をはるかに越えてしまった。

 ドイッチャーが生れた当時のポーランド = リトアニア地域は、帝政ロシアやドイツ帝国などによって分割支配され、多数のユダヤ人が暮らしていた地域であった。ここからは、ローザ・ルクセンブルクと彼女の終生の盟友であったヨギヘス、スターリンに粛清されたカール・ラデックなど、多くのユダヤ系革命家が輩出している。

 ユダヤ人ではないが、悪名高きソビエトのチェーカーとGPU(KGBの前身)の初代議長・長官であったジェルジンスキーもポーランド出身であるし、フランスに現象学と実存思想を紹介したレヴィナスも、この地域出身のユダヤ人である。ドイッチャーは1907年生まれ、レヴィナスは1906年生れと同世代であり、どちらもアウシュヴィッツで家族を失うという経験をするなど共通点も多い。

 『非ユダヤ的ユダヤ人』(岩波新書)は、そのドイッチャーのユダヤ人問題とイスラエルに関する戦後の発言を、彼の妻がその死後に集めて出版したものだが、そこでの彼の立場には、ナチによるポグロムを経たせいもあってか、いささか複雑で微妙なものがある。

 同じ岩波新書に収められたサルトルの 『ユダヤ人』 が、東欧とはまったく状況の異なるフランスのユダヤ人問題を、あくまで理論的に扱っており、その分著述もすっきり明快であるのに比べて、こちらの書には、問題の当事者である筆者自身の記憶と体験が、その成員の多くとともに、地上から永遠に失われた社会への深い哀惜の念を伴ってこめられている。 たとえば、こんなふうに

 今でも私は、夕刻、年齢を問わず、労働者や職人や貧しい人々が大勢集まって詩や脚本の朗読に傾聴している光景を思い出す。…… 世界中探してみても、高度に文明の発展したこの世界のどこに、あの頃のワルシャワや、ポーランドからリトアニアにまたがる地方のユダヤ系労働者ほどの喜びをもって、自分たちの作家や詩人の言葉に耳をかたむける民族があっただろうか。
 イーディッシュ語は雄渾な力にあふれ、つねに新しい豊かなものを宿していた。しかしそれは間もなく、一夜にして死語と化す運命にあったのである。ユダヤ系作家、詩人は労働運動の中に沈潜し、その運動自体はアトランティス号のように沈没することとなるのである。

 ドイッチャーは、もともとトロツキー派としてポーランド共産党を追放された過去を持っており、その立場から、戦後にパレスチナ人を追い出して建国されたイスラエルに対しては、時代遅れのナショナリズムを掲げた「民族国家」にすぎないという姿勢を取っている。また、周囲のアラブ民族との対立を暴力で解決しようとする、その根強い傾向にも批判的である。だが、その一方で、イスラエル建国に一定の必然性があったことも承認している。

 それは、いうまでもなく20世紀の半ばに起きたナチの暴力によって、西欧の理性と文明に対するかれの信頼が揺らいだ結果だろう。パレスチナへの 「帰還」 を主張するシオニズムに反対してヨーロッパに留まったユダヤ人の多くが、結果的にナチによって命を奪われたことを思えば、そこにある種の悔恨を読み取ることも不可能ではないだろう。

 当然のことながら、マルクス主義者であるドイッチャーは、古いユダヤ教の因習には批判的である。しかし、この本を編集した彼の妻によれば、彼はラビの家系に生まれ、「偉大なタルムード学者」 になることを周囲から期待されるほどの秀才であり、実際に、わずか13歳でユダヤ教の教師であるラビになったのだそうだ。さすが、栴檀は双葉よりかんばしというべきか。

 とはいえ、かれは自らがユダヤ人であり、その知的伝統に連なる一人であることを否定していない。この書の題名にもなっている講演の中で、かれは子供の頃にユダヤ教正典の注解書で知ったという、ある正統派のラビとその師である異端者をめぐる奇妙な逸話を紹介したあと、こんなことを言っている。

 かれら (スピノザ、ハイネ、マルクス、ローザ・ルクセンブルク、トロツキー、フロイトら) の中には、何か共通のものが宿っていたのであろうか。かれらがかくも人の思想を動かしたのは、かれらがとくに 「ユダヤ的天才」 だったからであろうか。
 私は、ある民族にその民族のみの天分が宿っているなどということは信じない。それにもかかわらず、ある点で彼らは非常にユダヤ的であると思う。かれらの中には、ユダヤ人の生活とユダヤ人的知性の本質的なるものが宿っている。
 「前提からすれば」 かれらは例外である。なぜなら、この人々はすべてユダヤ人でありながら、異なる文明、宗教、民族文化等の境界線上に立っているからである。
 またかれらは、各時代の転期の境界線上に生まれ育っている。かれらの思想がその成熟をみたのは、非常に異質的な文化がたがいに影響しあい養いあう地域においてであった。かれらはそれぞれの国で、その周辺や片隅に空間を求めてそこに生活していた。
 みんな社会の中にあると同時に、よそ者であった。みんな社会に属していながら、その社会には受け入れられていない。かれらにその社会を越え、民族を越え、時代や世代を越えた高い思想をもち、広い新しい地平にその精神を飛躍せしめ、またはるかの未来にまで考えをすすめることを可能ならしめたのは、まさにこの点であった。
『非ユダヤ的ユダヤ人』 P.35    
 

 伝統というものは、たんに黴の生えた因習や道徳を墨守することによって引き継がれるものではない。
 
 伝統に対する異端者であり反逆者であることによって、引き継がれていく伝統というものもあるというべきなのだろう。





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Last updated  2010.02.18 17:28:14
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