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カテゴリ:雑感
「春眠暁を覚えず」 と言ったのは、杜甫だったか李白だったかと思ったら、おっと違った孟浩然だった。春は気持ちがいいから思わず寝すぎてしまうということなのだろうが、こう暑くなるとそうはいかない。さすがに暁には起きないが(というよりいつも暁ごろに寝ています)、気温が上昇する昼前には目が覚めてしまう。おかげで一日中寝不足でいらいらしっぱなしである。
翻訳業の大敵はなにかというと、一に運動不足、二に肥満、三四がなくて五に腰痛といったところ。そのほかにも数え上げると、生活リズムの乱れ、慢性的睡眠不足、視力の低下、肩こり、腱鞘炎、引きこもり化の進行、人嫌い症候群の悪化と、まったくきりがない。 というわけで、この仕事、とても人に勧められるものではない。で、なんで人には勧められないような仕事をやっているかというと、そこにはふかーい訳があって、ようするに四十過ぎて食いっぱぐれたら、いまさら会社勤めなどやる気もなく、探したところでそんな口があろうはずもなく、一念発起して通信講座とやらで勉強を始め、あちらこちらに相手の迷惑などかまわずに履歴書を送りつけて、ようやくここ数年、人並みに食えるようになってきたというだけの話。 いまや飛ぶ鳥を落とす勢い(?)の内田樹さん、若い頃は刎頚の友ともいうべき平川克美さんと翻訳会社を立ち上げて、技術翻訳の仕事をしていたのだそうだ。その頃は今みたいにパソコンで仕事をしてメールでやり取りする時代ではなかったろうから、大変だっただろう。今なら、上書き、挿入、コピペなど自由自在であるが、当時はすべて手書きだったのだろうから、その面倒くささは想像もつかない。パソコンなしで、書いては消し、書いては消しなんて、とてもじゃないけどやってらんないよ。 その内田さん、かの吉本隆明と対談したということで、まるで子供のようなはしゃぎっぷりである。なんとも微笑ましい限りであるが、吉本という人、かつては花田清輝などと華々しい論争を繰り広げ、講演会では学生が野次をとばすと演壇をおりてつかみかかったなどという武勇伝のある、コワモテなイメージの強い人だったが、最近では書くものもすっかり平易になっている。 いわゆる 「吉本理論」 ということになると、これはもうどこから手を付ければいいのかも分からぬような超難解な代物だが、この人の最大の功績は、戦後の左翼とリベラル派がこの国の近代化以来ひきずってきた、権威への拝跪や前衛あるいは知識人と大衆との二元論といった様々な歪みを容赦なく批判し、欧米の流行思想をただ追っかけるのではない、自前の思想をうちたてようとしたところにある。だからこそ、彼の言葉は 「社会主義」 圏の崩壊などということにかかわりなく、今も読む価値があるものとして残っているのだろう。 彼の残した膨大な著作については、それぞれの分野の専門家から見れば、いろいろ間違いもあるかもしれない。なにしろ、その領域は文学、宗教論、歴史、哲学、政治・社会、心理学など実に多岐にわたっているのだから。人間という存在にかかわりのあるありとあらゆることに関心を持つこと、それもこの人の凄いところである。 また、まとまりがないとか、中途半端に終わってしまった、完結していない、すでに破産しているとかいった批判をする者もいるかもしれない。しかし、本物の思想というものは、本来完結しえないものだ。なぜなら、現実の世界が完結したものではありえない以上、世界を総体として捉えるという作業も、けっして完結するはずがないからだ。それに、あらかじめ成功が約束された仕事など、どうせ大したことではない。 完結した体裁のいい理論などというものは、どこかにごまかしがあるものだ。出来合いの借りてきた思想で満足するのではなく、どこまでも現実に寄り添いながら思考を重ねてきた人の生きた思想というものは、むしろいつの時代にも、未完成に終わるという宿命を背負っているといったほうがいいだろう。 そのような意味で、吉本隆明という人は数少ない信頼に値する人だというべきだ。それは、むろん彼の言葉をただ金科玉条として祭り上げ、その独特な言葉遣いを猿真似して悦に入るというようなこととは、無縁のことである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.07.25 19:01:48
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