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カテゴリ:雑感
今日も一日暑かった。エリオットは 「四月は残酷な季節だ」 と詠ったが、この国でいちばん残酷な季節は、やっぱり八月である。苛烈な王の視線のような光が地にそそぐ中、過熱した空気がゆらゆらと揺らぎだし、すべてのものが明確な形を失ってぐんにゃりと溶け出してしまいそうな暑さである。 一月ほど前、自費出版についての訴訟というニュースがあったが、あれからどうなったのだろうか。どういう経緯があったのか、詳しいことは分からないが、今の出版状況を考えれば、素人が出した本などそう簡単に一般の書店に並ぶはずはない。出版社のほうがそんなことを言って妙な期待を持たせたのだとすれば、たしかに罪作りな話ではある。 白状すると、わが親父どのも生前に一冊、自費出版本を出していて、いちおう定価は1000円となっているのだが、一冊も売れるはずはなく (たぶん)、家族、親戚、友人、知人はもちろん、かかりつけの病院の医者や看護婦さん、はてはぶらりと立ち寄った食堂の店員さんとかにまで、相手の都合や迷惑など一切構わずに、実に気前よくばらまいていた。お袋どののほうは、ダンボールなん箱分もの本がどでんと送りつけられて、いささか迷惑顔をしていたが。 むろん一般の書店に並ぶようなことはなかったが、それでも親父どのは 「著作家」 としての気分を満喫し、十分に満足していたようで、いくら掛かったのかは知らないけれど、別に悪い気はしていなかったようだ。お前もインターネットで宣伝してくれと頼まれたのだけは、いちおう丁重にお断りしたけれど。 内容はというと、同窓会だとかどこかの団体の機関紙に載せたりした、回想記や世を憂う老人の主張のような雑文のたぐいなのだが、中にははじめて知ってへぇーというようなこともある。 刑法学者として名が知られた人で、勤めていた大学に米軍のジェット機が落ちて始まった騒動をきっかけに退職し、それからは公安関係の事件の弁護などで活躍していた I 氏とは、旧制中学以来の友人だったそうだが、その I 氏らが中学時代に首謀して、どうやらばりばりのナチス・シンパだったらしいドイツ人教師の授業をボイコットした話なども書かれていて、そういうところはなかなか面白く読めた。 当たり前のことだが、子供というものは、自分が生れる前の、親の若かりしときのことなど、ほとんどなにも知らないものである。どこの学校を出たかとか、ビルマに連れていかれて、そこで捕虜になって帰ってきたことぐらいは、いちおう聞いてはいたのだが。 かの田中角栄や中曽根康弘と同い年で、隠居してからも、名刺には元××といった肩書を名刺の余白がなくなるくらいにずらずらと書き並べ、東に寮歌祭があると聞けば、破れ袴に高下駄をはいて駆けつけ、西に第九の会があると聞けば、はるばるウィーンまで飛行機に乗って飛んでいくという、まわりにとっては少々迷惑な人ではあった。 玄洋社発祥の地たる福岡の人間に相応しい、大言壮語の好きな人であったから、どこまでが本当でどこからが誇張なのか、いまいち分かりかねるのだが、親父どのは、戦争当時のことを次のように書いている。
われわれ戦後世代は 「戦争を知らない子供たち」 なのではあるけれど、同時に戦争から無事に帰還した兵士たちと、銃後の飢餓と空襲を生き延びた女学生らとの間に生れた世代なのでもある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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