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カテゴリ:社会
山口で起きた少年による祖父殺害事件に対して、たぶん加藤千洋だと思うが (最近あまり記憶がもたないもので)、こういう事件に対しては、少年法の改正による厳罰化はほとんど意味を持たないというようなことをコメントしていた。 まったくそのとおりで、この種の事件は厳罰化によって防げるものでも減少するものでもない。ましてや、その原因が、義務や責任を教えずに権利を主張することばかりを教えたとかいう、戦後の民主主義教育にあるわけでも、日教組にあるわけでもない。与党側であれ野党側であれ、にわか政治家や政論家の一番だめなところは、政治や行政、あるいは法律といった手段が万能であり、こういった社会のあらゆる問題にも対処可能だと信じて疑わないところである。 ありていに言えば、国家や政治といったものは、しょせん社会の上澄みのようなものであって、本当に歴史を動かしているのは、政治などよりもずっと深い社会の深層で起きている変化である。国家と市民社会という言葉を使うならば、国家が市民社会を規定しているのではなく、市民社会こそが国家を規定しているということだ。 歴史というものは、具体的な諸個人の生活過程の中でこそ作られている。一般的に言えば、政治的な変動というものは、そのような社会の深部での変化の事後的な表現に過ぎないのであり、そういう社会の深層での変化に対して、政治や行政、法律などといった手段は、おうおうにして無力なものである。 学習塾に勤めていたころに驚いたことの1つに、生徒の多くが戦前戦後の日本の庶民の生活の変化についてほとんど知らないということがあった。彼らにとっては、かつての日本人の多くが、電話もテレビもクーラーも自動車もなしに生活していたということがまるで信じられないのであり、そういった電化製品の多くが、その辺の木や石と同じように、昔から家の中にあったものだとごく自然に考えているのだ。 これは、生れたときからそういった製品に囲まれて暮らしてきた者らにとっては、当然のことかもしれない。たとえば、今50代の人間であれば、カラーテレビやクーラーなどなかった時代、高層ビルもコンビニもなかった時代を知っているだろうし、30代や40代の人であればCDやパソコン、携帯が登場する前のことも覚えているだろう。しかし、10代の少年たちにとっては、社会は最初からそういうものとして存在している。彼らが知っているのは、せいぜいゲーム機とゲームソフトの進化ぐらいに過ぎない。 山口で祖父を殺害した少年は、列車を乗り継いで上京し、秋葉原で逮捕されたのだそうだ。彼にとって、秋葉原とは現代日本を象徴する最も先端的な場所であり、たぶん捕まる前に、ぜひとも一度見ておきたい場所だったということなのだろう。「ナポリを見てから死ね」 という言葉があるが、彼にとっては秋葉原こそがまさにそういう場所だったのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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