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カテゴリ:マルクス
マルクスの思想については、一般に 『ドイツ・イデオロギー』 あたりを境にして、初期マルクスと中期・後期マルクスと分けられることが多い。初期マルクスの著作には 『経哲手稿』 などがあり、後期マルクスの代表作はいうまでもなく 『資本論』 である。 伝統的なマルクス主義者の理解では、初期マルクスの思想はまだ思弁的で哲学的なしっぽをひきずっており、マルクスはそのような尻尾を清算することで本物のマルクスになり、科学的な世界観である 「弁証法的唯物論」 と 「科学的社会主義」 なるものが成立した、のだそうだ。 それに対して、非マルクス主義的な哲学者や思想家の中には、後期マルクスよりも初期マルクスを評価する人のほうが多い。初期マルクスの思想の中にあった、疎外に対する人間主義的な考察などは、後期マルクスでは影を潜め、マルクスは経済ばかりに目を向けたただの唯物論者に堕落してしまった、のだそうだ。 スターリニズムの圧制と、それを支えた硬直化したマルクス主義理論に対する批判や反省から、初期マルクスの思想に対する関心が世界的に高まったのは、もうずいぶん前の話になる。青年マルクスと彼をめぐるヘーゲル左派の様々な思想家についての文献的な研究は、この国では亡くなった広松渉や良知力などによって精力的に進められた。 とはいえ、初期マルクスと後期マルクスの思想をめぐる問題は、それで解決されたわけではない。思想の問題は、結局のところ、それを解釈する人間の問題でもあるから、文献資料の発掘などがいくら進んだところで、最終的な唯一の答えなどもとより出るはずはない。 ところで、吉本隆明は 『カール・マルクス』 の中で、次のように言っている。
「人はなにものかになるためには、自己を諦めなければならない」 とゲーテは言ったそうだが、それはマルクスについても言えるだろう。初期のマルクスの思想が豊かな可能性に満ちていたとすれば、その後のマルクスが経済学研究という一本の道をつきすすんだことによって、最初の可能性のいくつかは、実ることのないまま、うち捨てられることになってしまったようにも思える。 そのことについて、吉本は 「マルクスが、青年期につくりあげた三つの道は、やがてその中のひとつの道を太くさせ、そのほかを間道に転化させる。これを彼自身の体験がしいたものと見る限り、たれも、それに文句をつけることはできない。よく踏まれた道が太くなり、だいたい踏まれることのすくない道は、草が茂り、潅木が連なり細ってゆくことは当然だからだ」 と言っている。 たぶん、 このような吉本のマルクス理解は、この国の様々な論者によるマルクス評価の中でも群を抜いたものだと思う。未完に終わった 『資本論』 が彼の長年の経済学研究の成果であることはいうまでもないが、青年時代にマルクスが考えていたことのすべてが、そこで展開され結実したわけではない。初期マルクスと後期マルクスの間にあるのは、単純な断絶や発展でも、いわんや堕落でもない。様々な可能性の中から、しいられてひとつの道を選んだことの結果なのだ、そういうふうに吉本は言っている。 「科学的社会主義」 も 「弁証的唯物論」 も、マルクスの思想の中から一部だけを切り取って命名したものに過ぎない。「科学的社会主義」 という言葉は、おそらくエンゲルスの 『空想から科学へ』 に由来するのだろうが、エンゲルスが言いたかったことは、彼とマルクスが提唱する社会主義は、それまでのような、支配者の善意や人間の主観的願望に期待したり、あるいは予言者のように、未来社会の青写真を非歴史的に頭の中だけで描くといったものではなく、歴史と社会についての徹底した膨大な研究を基礎としているものだ、というぐらいのことだろう。 当然のことながら、それは現代的な意味での厳密な科学とは違うし、そのようなことまでは、マルクスはもとより、エンゲルスにしたって主張したわけではないだろう。いずれにしても、「科学的真理」 だとか 「科学的社会主義」 などという、ふんぞり返ったような言葉でマルクスについて語ることは、そろそろもうやめたほうがいいのではないかと思う。そのような言葉は、害ばかりでなんの役にもたたない。別に、そのような言葉を使うのをやめたところで、それでマルクスの価値が変わるわけでもないだろうし。
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