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カテゴリ:雑感
小阪修平が亡くなっていたというのを、今日はじめて知った。2週間以上も前のことだそうで、世の中の出来事にまったくついていけてない。 正直、彼の著書を読んだことはなく、覚えているのはずいぶん前に、いまはなき 『流動』 (1981)という雑誌で、長崎浩や笠井潔らと、「マルクス葬送」 という座談会をやっていたことぐらいだ。 有名な東大全共闘と三島由紀夫との討論会では、全共闘Hとして発言しているらしい。角川文庫に収録されている全共闘Hの発言を読んでみると、若さゆえの気負いばかりが目立ち、残念ながら、三島にいいようにあしらわれている感じがする。 この世代の人たちは、マルクスは死んだとか、吉本はもう古いとか、若いときにはずいぶん威勢がよかったのだけども、すでに皆さん、還暦に達していらっしゃるのである。むろん、形として残った成果だけで人を評価することはできないけれど、時間というものの残酷さのようなものを感じてしまう。いずれにしても、まだ61歳だったそうだから、今の時代で言えば早すぎるほうといえるだろう。 読んではいないけれど、昨年出た 『思想としての全共闘世代』 というのが最後の著作になるのだろうか。たしか、吉本隆明がインド放浪を描いた立松和平の作品を評した文で、バリケード闘争からの 「復員」 というような言葉を使っていた記憶があるが、小阪にとってもあの時代というものは、ずっと引きずり続けてきた戦争体験のようなものだったのかもしれない。 いくつかのブログに追悼記事が出ていたが、一番考えさせられたのは、小阪氏と学生時代に親交があったという、哲学者の田島正樹氏が書かれている記事だった。 ララビアータ 小阪修平氏を悼む
それにしても、朝青龍をモンゴルまで大挙して追っかけていくとは、なんと日本のマスコミは暇なことだろう。あほじゃねえのか、としか言いようがない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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