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カテゴリ:雑感
 以前、塾で生徒らに社会科を教えていたころの話だが、教科書や参考書などで取り上げられている項目には、なぜか三つ一組になっているものが多いということに気がついた。

 たとえば、世界の三大宗教といえば仏教、キリスト教にイスラム教であるし、近世の三大発明といえば火薬・活版印刷・羅針盤である。また、ルネサンスといえば、ダンテ、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ビンチであり、大航海時代であれば、バスコ・ダ・ガマとコロンブスにマゼランであり、啓蒙思想家とくれば、ロック、モンテスキューにルソーである。

 日本史に目を転じれば、鎌倉幕府には政所、侍所、問注所の三つの役所があり、江戸時代では、三奉行、御三家、三大改革というのが必ず出てくる。ちょっと詳しい参考書だと、さらに享保、天明、天保の三大飢饉というものも出てくるし、元禄文化といえば、松尾芭蕉と井原西鶴、近松門左衛門の三人を必ず覚えなければならない。

 そのほかにも、公民の教科書では、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三つが、日本国憲法の三大原則として説明されているし、民主主義政治の仕組みといえば、立法・司法・行政という三権分立というものも出てくる。

 これらの中には、三つであることにそれなりの根拠があるものもあれば、さしたる根拠などないものもある。たとえば、イタリア・ルネサンスの芸術家には、ペトラルカやボッカチオもいるし、また啓蒙思想家にはヴォルテールやディドロを加えて、四人や五人にしたってかまわないはずである。

 むろん、このような場合、一人二人では少ないし、かといって四人や五人では覚えるのが大変だ、という教育的配慮が働いた可能性は否定できない。しかし、こういう 「三大 X X 」 というのは、考えてみると世の中にはなぜか結構多い。

 いくつか例をあげると、日本ではクレオパトラと楊貴妃、小野小町で世界三大美人ということになっているし、東北三大祭りといえば、青森のねぶた、仙台の七夕、秋田の竿灯祭 (山形の花笠祭りという人もいるようだが)である。中国の三大奇書といえば、「三国志」 に 「水滸伝」、「西遊記」であるし、また、維新の三傑といえば、薩摩の西郷と大久保に、長州の木戸孝允をあわせた三人である。あと、先日一人が亡くなった、世界三大テノールなんてのもある。

 調べてみると、ご苦労にも 「世界三大 X X 」とか 「日本三大 X X 」などというものを集めたサイトまで見つかった。だが、その中には、明らかに無理に三つにそろえたとしか思えないようなものもある。つまり、人はなぜか三つを一組にすること、言い換えると三という数字にこだわっているようなのである。

 考えてみると、構造を表す最も単純な数はニである。1つの次元には、上と下、右と左というような対立が必ず存在する。原理は1つであっても、そこを原点とすれば、かならず正と負、陰と陽の対立が成立する。しかし、このような構造は線にしかすぎない。この構造を面へと広げるには、少なくとも同じ直線上にない、もう1つの点が必要である。

 たとえば、脚が二本しかないイスやテーブルは使い物にならない。しかし、脚を三本にすればイスもテーブルもとりあえず安定する。同様に、三本の線を組み合わせれば、これ以外に描けないという唯一の図形が出来上がる。しかし、線の数がそれ以上になると、こんどは安定した図形は描けない。

 つらつらと思うに、二項構造というものには、どこかむやみに対立を煽るところがある。古代ギリシアのアテネとスパルタ以来、カルタゴとローマ、イギリスとフランス、アメリカとソビエトというように、世界はつねに二大強国によって覇権が争われてきた。このような二項対立は不安定なものであり、必ずといっていいほど一方の勝利と一方の敗北で終わるものだ (例外的には、共倒れということもあるが)。

 項羽と劉邦の争いを表した 「両雄並び立たず」 という史記の言葉が象徴するように、このような二項対立には、一時的には安定しているように見えても、いつかは決定的な破局が訪れるのではないか、という不安感がぬぐえない。必ずしも正しいわけではないが、かのレーニンの言葉を借りれば、「相互に排斥しあう対立面の闘争は、発展、運動が絶対的であるように絶対的である」 ということである。

 しかし、たとえば山口百恵と桜田淳子というニ項対立に、森昌子というやや控えめでタイプの違う第三項が挿入されると、当人同士はもちろん、ファン同士を含めたぎすぎすした対立が少なくとも表面的には緩和され、なぜかほんわかしたムードが醸成される (ように見える)。

 激しい競争はありつつも、どこかお互い持ちつ持たれつというような部分もある芸能界では、美空ひばりと江利チエミ、雪村いずみというように、昔から 「三人娘」 だの 「御三家」 などという三項構造が好まれてきたのは、そのせいではないだろうか。

 こういう三項構造の特質を最もよく表しているのが、ヘビとカエルとナメクジという三すくみの関係である。子供でも知っていることだが、じゃんけんでは、グーはチョキに勝ち、チョキはパーに勝ち、パーはグーに勝つということになっている (いうまでもないことだが、じゃんけんにグーとパーしかなければ、みなパーを出すに決まっているのであり、それではいつまでたっても勝負はつかない)。

 このような三すくみの構造では、最終的・決定的な勝者は存在しない。お互い競争関係にありながらも、全体としては誰も決定的な優越的地位を保持しえないため、どこか協調的で調和した安定的構造がもたらされることになる。戦後ヨーロッパの安定化をもたらし、今日のEUの基礎を築いたのも、海を挟んだ英・仏・独の三極構造である。

 どうやら、人はライバル関係に着目し対立を煽りたいときには、二極構造を好むようだ。たとえば、古くは蘇我氏と物部氏、源氏と平氏、新しくは早稲田と慶応、大鵬と柏戸、猪木と馬場というように (あまり新しくはないが)。

 しかし、互いの優劣をはっきりとはさせず、お互いなあなあで仲良くやりましょうや、というときには、二項構造よりも三項構造が好まれるらしい。「三大 X X 」の類がなぜか好まれるのも、たぶんそういうあまり対立を好まぬ意識が無意識のうちに働いている場合が多いからなのだろう。





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Last updated  2007.11.24 06:36:29
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