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カテゴリ:マルクス
一昨日、散歩がてらに立ち寄ったBook Offで、ちくま文庫の 『大菩薩峠』 第一巻を105円で購入した。表紙には、若くして亡くなった時代劇スター、市川雷蔵のぞくりとするような冷たい横顔が写っている。亡くなったのは1969年だとかで、それほど記憶には残っていないが、柴田練三郎原作の 『眠狂四郎』 のほうは、何作か深夜放送などで見たことがある。 音無しの構えの机龍之介も、円月殺法の眠狂四郎も、いずれ劣らぬ血も涙もない冷酷無比なヒーローであるが、こういう表情のできる俳優というのは、今なら誰がいるだろうか。沖雅也が不可解な自殺を遂げてから20年以上たつが、彼ならこういう役にぴったりだったかもしれない。 ニヒリズムを最初に虚無主義と訳したのが誰なのかは、ざっと調べてみたが分からなかった。同じように平民社にいた石川三四郎あたりではないか、という気もするが、確証はない。いずれにしてもよくできた訳語であり、昨今のようになんでも意味不明なカタカナにしてしまう怠惰な翻訳家とは、大違いである。 さて、この大大長編の冒頭は、次のように始まる。 大菩薩峠は江戸を西にさる三十里、甲州裏街道が甲斐国東山梨郡萩原村に入って、その最も高く最も険しきところ、上下八里にまたがる難所がそれです。
ところで、この冒頭の少し先に、次のような一節がある。 これらの人は、この妙見の社を市場として一種の奇妙なる物々交換を行う。
「ヘラクレスの柱」 (ジブラルタル海峡の両岸のこと) 以遠の地に、あるリビア人の住む国があり、カルタゴ人はこの国に着いて積荷をおろすと、これを波打際に並べて船に帰り、狼煙をあげる。土地の住民は煙を見ると海岸へきて、商品の代金として黄金を置き、それから商品を並べてある場所から遠くへさがる。
商品交換は、共同体の終わるところに、すなわち、共同体が他の共同体または他の共同体の成員と接触する点に始まる。しかしながら、物はひとたび共同体の対外生活において商品となると、ただちに、また反作用をおよぼして、共同体の内部生活においても商品となる。
ちなみに、この大大長編小説は、なんと全巻が青空文庫に収録されていた。ウェブでだれもが無償で読めるようにと、これだけ長大な小説を入力し校正された方の努力には、まことに頭が下がるのみである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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