新年になったばかりであるが、正月に相応しい話題というものがない。なにしろ、年末も年始も仕事漬けで、おまけにお年玉をくれる人もあげる相手もいないのだから、正月といわれてもちっともぴんと来ないのだ。
さて、昨年の国会で民主党の山根議員がUFOについて質問し、UFOの存在は確認されていない、という政府見解が発表されたことや、石破防衛大臣や町村官房長官のUFOの存在を擁護する(?)発言が報道されたことは、まだまだ記憶に新しい。
ところで、この山根隆治という民主党の参議院議員、UFO論議に関してはなかなかのつわものらしい。調べてみたら、三年前にも当時の麻生外務大臣に対して同じような質問をしていた。
第162回国会 総務委員会 平成十七年三月十日(木曜日)
山根隆治君: 雲をつかむような話のついでといってはなんですけれども、UFOの問題について少し聞いてみたいと思います。 国会では今までUFOを取り上げられたことがないということのようでありますけれども、未確認の飛行物体ということでございますけれども、大臣はUFOを見たことございますか。国務大臣(麻生太郎君): おふくろは見たといってえらい興奮して帰ってきたのがありますけれども、残念ながら私自身は見たことはありません。
山根隆治君: 私もよく深夜散歩することが多いものですから、そのたびに空見て、深夜というのは、犬の散歩というのは私の日課でございますので、何があっても散歩しなくてはいけないと、犬を連れての散歩ですね。何かちょっと、事件がちょっとあったようですから、それとの絡みで思われては困りますが。空を見て、UFOを見てみたいものだなというふうにいつも思っているんです。一度も私、見たことがないんです。・・・
そういうことからすると、UFOが度々もう飛来、世界じゅうに飛来している、しょっちゅうそれはテレビで、先日も私、一週間ほど前テレビでまた見ましたけれども、これについて全く無関心でいるというわけにはいかない。それはやはり政治家として国民の生命、財産というものをどう守るかということもありますし、防衛上の問題もある。
いやはやである。山根議員、おふくろどのがUFOを見たということで、麻生氏にちょっとジェラシーを感じているようだ。
それはともかく、フロイトと並ぶ心理学者の横綱に、ユングという人がいる。彼は自伝の中で、フロイトと話をしていたさいに本箱の中の大きな音がし、また起きると予言したら、実際にそのとおりになったという話を書いていたり、「超心理学」 に関心を示したりで、いささかオカルトっぽいイメージもあるが、UFOについては 『空飛ぶ円盤』(1958) の中で、次のように言っている。
UFO伝説のように世界中いたるところで聞かれる風説が、単なる偶然で、なんの意味もないとは考えられない。何千という目撃者があるからには、やはりそれ相応に広く根を張った根拠があるはずである。この種の証言がいたるところに認められる以上、やはりそれだけの理由があるとみなさざるを得ない。
幻視の噂は、もとよりなんらかの外的な状況によって引き起こされるか、外的な状況を伴っていることであろうが、本質的には、広範囲に存在する情緒的基盤の上に成り立っている。この場合は、現代の一般的な心理状況がそれであろう。この種の噂の基盤は情動的な緊張であって、緊張の原因は集団的な急迫や危険か、もしくは魂の死活にかかわる欲求である。
全世界がソ連の政治圧力のもとにあって、その予想もつかない成り行きにおびえている今日の状況は、この条件に充分かなっている。個人の場合でも、異常な思い込みや、幻視や錯覚などの現象が起こるのは、心理的分裂、すなわち意識の態度と無意識内容とが対立して、両者に分裂が生じるときに限る。
かのオーソン・ウェルズが、H.G.ウェルズの 『宇宙戦争』 を原作としたラジオドラマを放送し、そのあまりの緊迫したリアルな内容に、多くの聴取者がフィクションを真実と思い込んでパニックを起こしたという話は有名だが、この 「事件」 が起きたのは、ミュンヘン会談や、その後のナチスによるチェコの一部併合など、第三帝国の興隆によって、世界中が緊張状態にあった時期である。
一方、上で引用したユングの著書は、スターリンが死去してフルシチョフに代替わりし、「雪解け」 というような時期もあったものの、「ハンガリー動乱」 の勃発など、米ソの緊張状態がまだまだ激しかった時期に書かれている。
さすがに、昨年の国会でのUFO論議と、それを受けた閣僚の脳天気な発言には、あきれた人たちが多かったようだ。しかし、昨今の 「陰謀論」 ブームや、わけの分からぬ 「スピリチュアル」 ブームは、いったいなにを意味するのだろうか。
むろん、おかしな話は昔からあり、そのようなものに引っかかる人も昔からいるわけではある。だが、これはこれで、なかなか興味深いところである。もっとも、さすがに前世紀に一世を風靡した、かの 「ノストラダムスの大予言」 は、すっかり信用をなくしたようだが。