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カテゴリ:雑感

 今年はうるう年である。ということは、2月29日生れのひとにとっては、4年に1回のめでたい誕生日がまもなくやってくるわけである。ところで、1年の12の月の中で、2月だけがなぜ28日とか29日みたいに極端に短く、他の月と対等に扱われていないのかというと、そこにはふかーい訳がある。

 なんでも、昔々、ローマ帝国の初代皇帝であり、かの英雄カエサルの甥っ子であり養子となったアウグストゥスを讃えて、彼の生れた8月にその名前が付けられたときに、8月が30日しかないのはまずかろうということで、2月から取ってきたのがその理由のひとつなのだそうだ。

 おまけにユリウス・カエサルとアウグストゥスの名前がそれぞれ7月と8月についたもので、本来の7月以降の名前が2月ずつ後ろへずらされるというおかしなことになってしまった。きっと、当時の一般庶民の皆様は、ずいぶんと迷惑したことだろう。

 もっとも、これはどちらも本人が命じたことではなく、元老院だとか有力な市民だとかが率先してやったことらしい。つまり、いつの世にも、権力者や有力者に媚を売ったり、先回りして手を打ったりして取り入ろうとするような小利口な連中はいるということだ。

 さて、世の中にはよく、「そんなことを言っている暇があったら、現実を見ろ!」 なんてことを言う人がいる。たしかに、世の中には 「現実」 を見ていない人というのもいるわけで、こういう言い方もときには有用であり、それなりに意味がないわけではない。だが、その人が言っている 「現実」 とは、いったいなんなのだろう。

 たとえば、世界の中では、日々どこかでリンゴやナシが木から落ち、ミミズやカエルが道端でひからび、イヌやネコが毎晩のように草むらで恋をささやいているわけだが、「現実を見ろ!」 と仰っている方は、なにもそのような 「現実」 に目を向けろ、と言っているわけではあるまい。

 つまり、その場合にその人が言っている 「現実」 とは、なによりもその人にとって重要であり、その人が重要であると考えている 「現実」 のことなのである。したがって、そこで彼が指摘する現実とは、すでに彼の意識と思考によって、あらかじめ選択され解釈された 「現実」 ということになる。

 うーん、なんだか迷路にはまりそう。

 それはともかく、人はしばしば本当の困難から逃れるために、なんやかんやの 「現実」 に逃避したりするものである。たとえば、夫婦や親子の間になにかややこしい問題があるときに、「オレには大切な仕事があるのだ!」 などと言って会社に出かけるお父さんは、まさに 「仕事」 という 「現実」 に逃げ込むことで、本当の問題から目を背けているのだろう。

 失恋の痛手だとかを忘れるために、勉学とか仕事とかに打ち込むなどというのも、これに少し似ているかもしれない。ただし、この場合はそれはそれで役に立つものだろうが。

 同じようなことは、いろんな社会的運動とかについても言える。運動がなんらかの壁にぶつかり、わいわいがやがやの議論になったときに、一部の人らから必ず出てくるのが、「議論より行動だ!」 という言葉である。

 しかし、たいていの場合、そのような言葉は、現実に抱えている問題について 「考える」 という、本当の困難から目を背けるための口実にすぎない。そして、言うまでもなく、そのような問題は、伝説のダチョウが砂場に頭を突っ込んで身を隠そうというのと同じように、スケジュールと化した 「活動」 や、定型化した 「思考」 に逃げ込こんだところで存在しなくなるわけでもない。

 「現実」 というものは、むろん重要であり大切なものである。だが、困ったことに、「現実に目を向けろ!」 だとか 「議論より行動だ!」 などと言っている人らが、本当に現実を直視し、現実を理解しているとは必ずしも限らないものである。それに、そもそもどんなに正しそうな言葉でも、ただ振り回すだけなら、誰にでもできる簡単なことでもある。





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Last updated  2009.07.02 19:57:15
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