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カテゴリ:社会

 岩国市長選以来、最近は次々といろんな事件や事故の報道があいつぎ、一つ一つの報道を追いかけるのもなかなかたいへんな状況だが、その中でもひときわ異彩を放っていたのが、国際派ジャーナリストを自称している、ドイツ在住のクライン孝子とかいう人の発言である。

 彼女自身の経歴紹介によれば、この人は 「チューリッヒ大学でドイツ文学」 を学び、「フランクフルト大学で近代西欧政治経済史」 を学んだのだそうだ。この経歴については、本当かどうか疑う声もちらほらとあるようだが、まあ、それはどうでもよい。

 このおばさん、沖縄の事件でもイージス艦の事件でも、なかなかぶっとんだ読者メールを次々と自分のブログで紹介している。たとえば、次のような


 5.  本日になって,あれだけ熱心に行方不明者の捜索に連日
    出港していた漁船が,遺族側の申し入れ,と云うことで急に
    捜索を中止したこと。

    その収束の仕方も唐突で,あれだけ遺体確認に拘っていた
    遺族及び漁業関係者が突然中止を申し出たこと。

 6. そして,先生ご指摘の通り,遺体が発見できないこと。
    これは,現場の海流のせいかもしれませんが,極端な想像をすれば
    衝突した船には,衝突の時点で人が乗っていなかったか,
    衝突後遺体が片付けられてしまったか不明です。
    ミステリーの領域に入ってしまいますが。

 7. 事件の進行と,マスコミ,漁業関係者の動きの早さが,
    沖縄の諸事件と類似のパターンを描いていること。
    バックに沖縄とおなじ団体なりが存在して,指揮を執っているの
    ではないか,と思わせる統制ぶりです。


 これは、米島勉という名前の 「昭和9年10月4日生まれ,73歳。早稲田大学大学院理工学研究科化学工学専攻博士課程修了」 という経歴の人から、送られてきたメールなのだそうだ (追記:どうもこれもかなり怪しそうです)。

 ご本人は上のメールの中で 「極端な想像力」 と称しているが、こういうのは 「想像力」 とは言わない。正しくは、「妄想力」 と言うべきである。その違いは、客観性に対する関係にある。自らの主観性のみに立脚し、対象への客観的な眼差しを欠いた想像というものは、「想像力」 などではなく、ただの愚劣な 「妄想力」 の産物でしかない。

 本当の想像力というものは、むしろそのような独断的な先入観だけに立脚し、しかもまったくもって陳腐でしかない 「妄想」 にふけることを自らに抑制するためにこそ、働かせるべきものである。 

 おそらく、このような人たちにとっては、「国家」 や 「軍隊」 といった非人格的な存在は、なにやら崇高な使命を帯びたものとして 「感情移入」 しやすい存在なのだろう。それに対して、日々自分の腕や足で生活の糧を稼いでいる具体的な個人は、尊厳や崇高さという感情も呼び起こさない、ただの豆粒のようなものに過ぎないのだろう。

 行方不明の親子の無事を祈って、海岸で読経し、また泣きの涙で親子の捜索を諦めた漁民らは、彼らにとってはおそらく、古臭い習俗にまみれた 「無知蒙昧」 で軽蔑すべき存在なのであり、そのような姿からは、まっとうな想像力を刺激されることすらないのだろう。

 だが、そのような 「板子一枚下は地獄」(なごなぐ雑記) という危険と隣りあわせで日々暮らしている人間と、その生活に思いを寄せることのできない人間らこそ、もっとも無知蒙昧な存在というべきなのではないだろうか。

 倒錯しているのは、いったい誰なのだ。まったくもって、人間、無駄に歳をとりたくはないものだ。






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Last updated  2008.03.02 00:56:50
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