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カテゴリ:社会
久しぶりに、まったく仕事がない完全な休日なのであるが、どうにも腹の虫が治まらない。それというのも、よせばいいのにまたまた下らぬものを見てしまったせいである。 たしかに、どんな事件や事故の被害者でも、その人がそのときそこにいさえしなければ、事件や事故に巻き込まれることはなかっただろう。だが、そのような 「仮説」 を持ち出したところで、現実に起きてしまった事件や事故が、消えてなくなるわけではない。この男が言っていることは、しょせん下手な奇術師もどきの、怪しげなレトリックではないか。 そもそも、個別の事件というものは、そのような事件が発生しうるということ、つまり、そのような根拠と条件が存在しているということを示す例証にすぎない。問題なのは、そのような個々の事件の特殊な事情ではなく、そのような事件が発生しうる条件が現に存在しているということだ。そして、そのような条件が存在している限り、多少の違いはあっても、いつかまた同じような事件が起きるだろう。 そこへ、まったくの赤の他人がしゃしゃり出て、したり顔できいたふうの説教することは、人の傷口にさらに塩をすり込むことでしかあるまい。どうやら、この男はいい歳をしていて、そんな 「常識」 すらも持ち合わせていないようだ。それは、還暦も過ぎた大人としては、ずいぶん恥ずかしいことではあるまいか。 そもそも、被害者の 「軽率」 な行動が 「日米関係を揺るがせ、「反米・反基地」勢力を勢いづかせてしまった」 などといっている時点で、この男の関心が、最初から 「日米関係」 の安定という 「政治問題」 にしかなかったことは明らかだ。それは、事件を 「政治的」 に利用することといったいどこが違うのだ。彼の関心は、最初から 「日米関係」 という彼にとっての至上価値が揺るがないようにすることであり、そのために、被害者の 「落ち度」 をほじくりだして、事件そのものをなるだけ矮小化し、できるならば、なかったかのようにすることではなかったのか。 「反基地勢力」 が叫ぶ 「いかがわしさ」 (続)とは、よくもまあ言えたものである。「反米・反基地団体」や地元の首長、議会などは、事件を奇貨として、日米政府を責め立てた。などと、彼らがあたかも事件が起きることを待ち望んでいたかのように書き付けることが、すでにこの男の 「政治的」 ないかがわしさを証明している。いやしくも 「報道人」 の自覚があるのならば、そんなことよりも、雑誌の売り上げ増加をたくらんだ興味本位の記事で、事件を 「商業的」 に利用した、一部週刊誌の編集部や記者ら、同業者の 「いかがわしさ」 のほうを問題にしてはどうだろうか。 「気分を害された方に・・・ご容赦のほど」 という新しい記事のタイトルを見て、少しぐらいは反省したのかとおもいきや、なんのことはない、自分の記事に批判的なコメントやトラックバックが集中したことを、「愛読者」 にお詫びするという内容だった。おやおやである。批判を真面目に受け止められず、「悪口雑言」 だの 「誹謗中傷」 だのと決め付けて耳をふさぐことしかできないのなら、「ジャーナリスト」 の看板などおろしたほうがよい。結局、この方、ごく一部のお仲間の方にしか、顔が向いてないのだろう。
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