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カテゴリ:社会
花岡信昭という人の言葉の端々から窺えるのは、自分は素朴な善意の人であるという強い信念である。それはたとえば、「ヒステリックにこの事件を伝え、米軍基地は出て行けとののしった一部メディア、とくにテレビは、いま、どう考えているのだろうか。正義派ぶったコメンテーターらのおぞましい顔がいくつも浮かんでくる。」* といった言葉からも窺える。自分は、彼らのように建前や理念ばかりを振りかざす、御立派な 「正義派」 などではないというわけだろう。 ネットという世界では、本音をぶつけ合うことが可能になる。マスメディアではどうしても建前先行になってしまう。当方は新聞や雑誌の原稿でも、本音ベースで論じないと本質にはさわれないと思うから、ときに先鋭的になる。*
「反基地勢力」 のいかがわしさ といったときも同じだ。彼の発想の根本にあるのは、彼らのような 「政治勢力」 はいかがわしいが、自分はそうではないという、あまりにも子供じみた素朴な信念だ。「政治」 というものをやっているのは、いわゆる 「政治勢力」 なのであって、一ジャーナリストにすぎない自分は 「政治的行為」 などしていないということなのだろうか。 まだまだおしりの青い若造ならともかく、政治記者暦30年という 「ベテラン」 なのに、「政治」 ということについて、本当にこの程度の認識しか持っていないとすれば、これまたあきれた話である。 「政治」 は、なにも永田町やその周辺だけで行われているわけでも、デモや集会、選挙やスローガンなどだけで戦われているわけでもない。彼には、このような言論によって、自分もまた充分に政治的に行為しているという自覚すらないのだろうか。これは、むしろ典型的な 「自己欺瞞」 と言うべきだろう。 これは、また、おやおやな発言だ。まだ反抗期を終えていない若者気取りなのかもしれないが、こんなことを言っているところを見ると、結局齢のわりにずいぶんと未熟な、大人になりきれていない人のように思える。なんとも、お粗末な人だ。 こちらは 「大人の社会の常識」 を述べたに過ぎない。そこが理解できないようなら、もっと人間や社会の勉強を積んでから、ネットの世界に入ってきてほしいものだ。* この点については、まったく、そのとおりである。だが、とりあえずは、まず自分がこれまでなにを言い、なにに加担したのかから考えてみてはどうだろうか。「分かってくれる読者はそこを読み取ってくれる。」 *などと、甘ったれたことを言うのはその先のことだ。 素朴に自己を肯定しても良いのは子供だけである。他人の 「偽善」 や 「欺瞞」 にはやたらと敏感だが、自分の 「善意」、自分の 「正しさ」 については少しも疑わないというのも、やはり未熟な人の特徴というべきだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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