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カテゴリ:雑感
先日、tak shonaiさんから 「二の矢を受けず」 という仏教の言葉を教えていただいた。引用の引用になるけれど、雑阿含経の第十七に、『箭経』と名づけられた短いお経があり、その中に次のような話があるのだそうだ。
「仏教を知らぬ人達は、楽しい事に出逢うとそれに執着し、『もっと欲しい』 と “貪(むさぼ)り” の念をおこす。同様に、苦に出逢うと “瞋(いか)り” の感情にとらわれてしまう。そうして、いよいよ混迷していくのだ。ところで、矢を受ける側ではなく、矢を放つ側のほうでいうと、連想するのは、ゲーテと並ぶドイツの文豪、シラーの戯曲 『ウィルヘルム・テル』(英語だとウィリアム・テル)の場面である。この戯曲は、ゲーテからイタリア土産に聞かされた、スイスの伝説を題材にしているのだそうだが、なんといっても有名なのは、村の広場に掲げられた代官の帽子を無視して素通りしようとしたテルが、代官に見咎められて、愛する息子の頭の上にリンゴを載せて射よ、と命じられる場面だろう。 だれもが知っているように、テルは、父親の腕を信じて目隠しを拒否した息子の頭の上に置かれたリンゴをみごと射落としてみせるのだが、その直後、代官ゲスラーは、テルがベルトに二本目の矢を隠していたのを見つけて、難詰する。
さて、このテルと並び称される、東方の国の弓の名人とくれば、むろん那須与一である。こちらは 「平家物語」 第11巻に収められた、屋島の合戦で沖に浮かぶ平家の舟に立てられた扇の的を射た話だが、与一が扇を射たあとの二の矢で射たのは、彼の腕を褒め称えて踊りだした、とし五十ばかりの平家の老武者であったという。 これは、与一自身の意思ではなく、源氏の大将である義経の命によるものだが、戦の最中にもかかわらず、敵の妙技をあっぱれあっぱれとばかりに誉めそやした平家の武者と、「そんなの関係なーい」 とばかりに、あっさりと射殺してしまった関東武者との気質の違いが、はっきりと浮き彫りにされた場面である。 もっとも、このすぐ前には、奥州以来付き従ってきた佐藤兄弟の一人、継信を、戦の中で自分の身代わりに失って嘆き悲しむ義経の姿が描かれているので、義経としてはそうとうかっかとしていて、敵味方に関係なく、弓の妙技に興じる気持ちになど、なれなかったのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.03.12 14:22:47
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