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カテゴリ:雑感

 今日は一日曇っていて、前日よりやや気温が下がっていた。川べりの桜並木を歩いているうちに、「春は名のみの風の寒さや」 という言葉がふと頭に浮かんだ。音数がちょうど七七になっているので、誰かの短歌の下の句かとも思い、しばらく考えてみたが、上の句らしきものがまったく思い出せない。

 家に帰ってパソコンで調べてみたら、大正時代に作られた 「早春賦」(参照) という歌の出だしの一節だった。メロディにも聞き覚えがあった。歌詞は文語の詠嘆調で、まだ来ぬ春を待ち望むという抑えめのものだが、メロディのほうは軽やかでのびやかな三拍子である。

早春賦
作詞:吉丸 一昌
作曲:中田 章

1.春は名のみの 風の寒さや
  谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど
  時にあらずと 声も立てず
  時にあらずと 声も立てず



 作曲者の中田章という人は、1886年7月8日生 - 1931年11月27日没。いっぽう、作詞者の吉丸一昌という人は、1873年9月15日 - 1916年3月7日没ということである。

 明治の音楽家といえば、当然、誰もが滝廉太郎を思い出す。彼は1879年8月24日 - 1903年6月29日没ということで、若死にではあるが、ほぼ同じ時代の人と言っていいだろう。「はーるのうらあらあのすーみだがわ」 で始まる滝の 「花」 は1900年発表、同じく 「荒城の月」 は1901年の発表、それに対して、吉丸・中田による 「早春賦」 は1913年の発表だそうで、歌としてはややあとになる。

 滝も中田も、東京美術学校とあわせた現在の東京芸大の前身である東京音楽学校を卒業している。どちらも明治20年に、それぞれ 「図画取調掛」 と 「音楽取調掛」 から美術学校と音楽学校に改称されたそうで、そこには 「文明開化」 の掛け声のもとで、西洋の文明をはるか離れたアジアの島国にまるごと移植しようとでもいうような、当時の文部官僚らの意気込みが感じられる。

 初代文部大臣であった薩摩出身の森有礼には、日本語を廃止して英語を採用しようとしたとかいう 「国語英語化論」 という逸話もあるが、彼が長州出身の若者に暗殺された背景には、そういった西洋文明の導入に対する、幕末以来の国学思想の流れをくむ者らの反発があったのだろう。

 日本は四季や風土の変化が豊かな国といわれており、たしかに古くからそのような感覚を詠う詩歌は発達した。しかし、そのような感覚や情感を、多くの人々がストレートに表現し共有できるようになったのには、西洋音楽の導入によるものが大きいだろう。

 「文部省唱歌」 が学校の教科書に載るようになったのが1910年ということだが、全国津々浦々に設立された学校で、それぞれに地元の風土や風景を表現した校歌が作られ、歌われるようになったことも、西洋音楽の大衆化に大きな役割を果たしたのだろう。

 この歌には、やがてくるであろう時代を予感させるようなものはなにもない。しかし、この歌が発表された5年後には、シベリア出兵の余波による米騒動が勃発し、不況があいつぎ社会が激しく動揺していくことになる。歌もまた、戦争中に歌われた 「軍歌」 のように、歌詞もメロディーも単調で空疎なものや、暗く陰鬱なものへと変貌していく。


 春おぼろ 群雲のごとき桜かな


追記: (4/7)

「早春賦」 の出だしと 「知床旅情」 の出だしがよく似ていることに、ふと気がついた。もちろん、順番は 「早春賦」 のほうが先である。これは、音楽関係者らの間ではずいぶん前から周知の事実だったらしいが、盗作と言えるかどうかは難しいそうだ。

たしかに、耳に心地よいメロディというものは、どこか似てくるものでもあるだろう。それに、現在というものは、つねに過去の影響のうえにあるものでもあるし。






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Last updated  2008.04.07 23:37:49
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