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カテゴリ:社会
若松孝二の 『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』 なる映画が評判のようだ。小映画館中心ながら、全国で上映が進んでいるらしい。ネット上にもいろいろな感想がある。
その中には、なるほどと思うのもあれば、それは違うだろうというのもある。たとえば、「キリンが逆立ちしたピアス」 というブログに掲載された感想は、事件当時生れてもいなかったという若い人であるにもかかわらず、非常に優れたものだと思う。 ところで検索していたら、『実録・連合赤軍』 制作委員会なるページに行き着いた。そこでの画像を見、文章を読んでいたら猛烈に気分が悪くなり、おまけに腹が立ってきた。 たとえば、ブログにあったこんな文章 明日のTBS系列「王様のブランチ」に登場!
永田・森にしても、総括死を遂げた若者らにしても、「純粋」 だったといえばそれはそうだろう。だがそんなことは、そもそも分かりきったことに過ぎない。それはオウムの事件でも同じことだ。問題はつねにその先にある。それはつまり、「共産主義化論」 などという愚劣な 「理念」 の正しさを疑うことを知らなかった、彼らのそのような心情の 「純粋さ」 こそが事件を起こしたのではないのかということだ。 山中のキャンプで批判者や下部メンバーに 「総括」 を迫った指導部は、つねに少数だったはずだ。たぶん、多くの下部メンバーはみな、次は自分の番かも、と恐怖しながら矢面にたったメンバーへのリンチに手を貸したのだろう。一番上の兄を殴るよう命じられ、その死を目にした、当時まだ高校生だったメンバーもいる。 そこで、もし彼らがいっせいに、それは違うと声をあげてさえいれば、「総括」 は止まったのではないのか。それなのに、なぜそれができなかったのか。そこに一番の問題があるのではないのか。事件の一番の責任が、最高幹部だった森と永田にあることは言うまでもない。だが、だからといって、事件は彼らが特別に 「残虐」 だったために起きたわけでもない。 そこに恐怖や一定の権威があったことも確かだろう。しかし、周囲から隔離された集団の中で、わずか2名にすぎない森と永田の専制が最後まで揺らがなかったのは、「王が王であるのは、臣下が臣下として振舞うからだ」 という言葉もあるように、結局はそれをメンバー自身らが受け入れていたからではないのか。 未成年の少年らを除けば、メンバーの中には、それなりの活動経験を有していた者もいる。にもかかわらず、指導部を公然と批判して犠牲になった当初の数人を除いて、他のメンバー全員が森・永田の指示に最後まで従い続けたのは、彼らもまた森・永田が掲げる理念の正当性を受け入れており、それを否定しそれに対抗する言葉を持っていなかったからでもあるだろう。事件をめぐる本当の問題は、たぶんそこにある。 それは、「仲間割れなどせずに仲良くしてれば良かったのに」 などという甘い問題でも、「戦う相手を間違えた」 などという問題でもない。ましてや、「勇気がなかった」 という問題ではない。だいいち、あの事件は、お互いの対等な立場を前提とする 「仲間割れ」 ですらない。 だがそもそも、いったいなんで若松はこんな映画をいまさら作ったのか。総括すべきは、60-70年代のラジカリズムに、少なからずコミットした自分自身の行為であり、言動ではないのか。それこそが、彼らよりも10歳も年長であり、しかも彼らより長く生き残った者としての責任のはずである。 それは重信房子でも塩見孝也(参照)でも同じことだ。この連中は、いまさら、どの面下げてなにをのこのこと顔を出しているのだ。たとえ事件の直接の当事者ではなくとも、彼らもまた、間接的にはこの事件に責任を負うはずだ。なぜなら、馬鹿げた 「理論」 と 「方針」 を花火のようにぶちあげて、下部の構成員らをあのような局面にまで追い詰めたのは、ほかならぬ彼らだからだ。 しかし、彼らが言っていることは、どれもこれも死者を美しい革命のための 「殉教者」 に仕立て上げることで、本当の問題を押し隠し、ひいては自分を免罪することでしかない。「いろいろあったけど、あの頃はよかったね」 とでもいうような懐古趣味や、「夢よ、もう一度」 というような山師根性ならやめたほうがいい。 事件について、最も真摯に考えているのが、間接的な当事者である塩見でも重信でもなく、当時彼らと対立していた 「新右翼」 の鈴木邦男だとはずいぶん情けない話である。
かれらの理論が、すべて<わたしは抑圧されている人民のために、差別されている人々のために、たたかいます>という<暖かい>心情論理から、一歩も出ようとしない未開なものであるという意味でいうのだ。 <抑圧されている人民>とはなにをさすのか。<差別されている人々>にたいする個人的な倫理観や同情心と、<差別>を共同性として、政治運動の問題にするときとは、どうちがわなくてはならないのか、またどうちがうのか、というようなことについて、自らに問いを発し、疑義を提出し、それに自ら答をつくりあげ、というような<冷たい>論理に向かう思考の過程を、まったく停止していることが問題なのだ。 吉本隆明 「情況への発言」1972年6月 この吉本の言葉は今も生きているし、この言葉を超える分析もいまだに存在しない。見てもいない映画について語るのは、言うまでもなくいいことではない。だが、死者をだしにした映画で賞を取ったことを誇らしげに語っている男の映画など、見たくもないし、見るつもりもない。
そもそも、たかだか3時間で終了する映画など、いくらタイトルで 『実録』 と銘打ち、細部がそれなりの事実に基づいていたとしても、実際には事件に至るまでの数週間、数ヶ月、いや数年という時間の流れの中から、製作者の主観に基づいて切り取られてきた個々の場面の集積であるにすぎない。 この映画が、これまで事件についてほとんど知らなかった人が、もっと細かな背景や事実を知ろうとするきっかけになるのなら、それはそれでよい。だが、少なくとも、たかだか映画を見た程度で、事件について分かった気にはなってもらいたくはない。 また、その程度の理解で、「まるで、連赤の 『総括』 みたいだ」 というような言葉や喩えを安易に使ってもらいたくもない。「そんな映画など見たくもない」 というタイトルには、そういう思いも込められている。
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