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カテゴリ:歴史その他
20年以上も前に亡くなった、橋川文三の 『日本浪漫派批判序説』 の中に、こんな文章がある。
先ごろ、ぼくは、ある水戸生れの老人から、幕末のあの凄惨な水戸党争の話を聞いた。水戸藩の人材を亡ぼしつくしたといわれるその内紛のいくつかのエピソードのうち、とくにある一つの話がぼくにつよい印象を与えた。それは十六歳で天狗党に加わり、はじめて人を斬ったという一人の少年の話である。 その人は容貌魁偉、体躯雄大、一見巨人族的風貌の、しかも美丈夫であったそうだが、こういう話を聞くと、ぼくは、すぐに幕末=維新期の 「戦中=戦後派 」というイメージを思い浮かべるのである。 こういうたぐいの人間は明治初年にはたくさんいたのだろうとぼくは考える。いつか、谷川雁が 『思想の科学』 に書いていた彼の祖父の話(参考)なども、そのような例のひとつと見ていいのではないだろうか。つまり、ぼくのいうのは、ある全身的な革命=戦争行動とその挫折をくぐったのち、その生涯をかけて体制の疎外者たることに専心した種類の人間のことである。 「若い世代と戦後精神」
反乱そのものは結局敗北し、参加者はほとんど捕縛されて処刑されたという。その数年後に、薩長らの討幕軍が水戸に押し寄せると、今度は天狗党の残党によって凄惨な報復が行われ、その結果、幕末の尊皇攘夷運動に大きな影響を与えた水戸藩の人材は完全に払底し、明治新政府には一人の要人を出すこともできなかったということだ。 歴史は、たしかに後世に伝えられなければならない。しかし、その中には、「これを絶対に後世に残さなければならない」 というような使命感による大きな声では伝えられないこと、むしろ低く押し殺した小さな声や、ひっそりとした沈黙によってしか伝えられないこと、そしてそういう声であることによって、はじめてそれをどこかで待ち望む人々らに伝わることというのもたぶんある。 いつの時代も、またどんな世界でも、過去の自分たちの過ちについて、殊勝な反省やもっともらしい教訓を大きな声で語っている者らは、ほとんどの場合、本当は自分の責任を回避し、自分の位置や立場を守り続け、あいかわらず前と同様に主役として舞台に立ち続けるために、「禊ぎ」 としての懺悔をしているにすぎない。 本当に聞き取るべきことというのは、そういう者らのもっともらしい怒りや悲しみを装った大仰で騒がしい声よりも、むしろなにも言わない者、ひっそりと沈黙している者、そういった人たちの小さな声や沈黙の中にこそ存在している。 むろん、そういう声は、それを聞くための耳を持った人間にしか伝わらないものだ。しかし、 そういう声はそのような人たちに聞き取られるためこそあるのであり、彼らにその声が伝わったのなら、それで十分というべきだろう。 世間に向かって 「赦し」 を請い、「反省」 のポーズをとることが目的でないのならば、なにも大きな声を出して、聞くための耳を持っていない人や、その声を待ち受けてなどいない人らにまで、ことさらに伝える必要などはどこにもない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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