一昨日は5.15事件66周年の記念日であった。なにか記念の記事でも書こうと思ったのだが、仕事が忙しくてついつい書きそびれてしまった。
5.15事件とは、言うまでもなく右翼思想にかぶれた海軍の青年将校らが、民間から調達した武器で当時の犬養毅首相らを襲撃し、暗殺した事件だが、「話せば分かる」、「問答無用」 という、犬養と襲撃した将校らとのやりとりでも有名である。
ところで、もともと「はてな」のIDを取ったついでに開いた、はてなの別館のほうで、最近こんな箴言めいたものを書いた。
すべての全体主義は 「共感」 を強要する共同体の上に成立している。
他者の名を借りた怒りとは、しばしば最も欺瞞的で不実な 「怒り」 である。
最も残酷になれる人間とは、おのれだけは汚れておらず、
またおのれだけはけっして汚れることがないと確信している、
「美しい魂」 を持った者らである。
「共感」 とはしばしば善意にもとづく誤解の別名にすぎず、
「優しさ」 とは、おうおうにして自らが 「優しい」 人間であることを表明し、
またそのような者として承認されたいという欲求の発現であるにすぎない。
思いついたことを脈絡なく書き留めた程度のことにすぎないが、実は最近いろいろと思うところがあったのである。この中の、「美しい魂」 を持った者ということについて、少し書いてみたい。
たとえば、フランス革命を例にとれば、ダントンやエベールら多くの政敵を断頭台に送ったロベスピエールも、私生活においてはきわめて高潔で私欲のない人間であったという。ちなみに、彼の盟友であり、「テルミドールの反動」 によって、彼とともに処刑されたサン・ジュストは美貌の持ち主でもあったそうで、「革命の大天使」 というあだ名がついている。
また、ロシア革命で言うならば、KGBの前身であるGPU(国家政治局)と、そのまた前身であるチェーカー(全ロシア非常委員会)で長官を務めた、ポーランド出身の革命家、フェリックス・ジェルジンスキーもまた、そのような 「美しい魂」 を持った人間であった。
彼と同じポーランド出身のユダヤ人で、当時はトロツキー派の一員であり、のちにイギリスに渡った歴史家のアイザック・ドイッチャーは、トロツキー三部作の第二部 『武力なき予言者』 の中で、この彼についてこんなふうに記している。
彼は清廉で、私心のない、恐れを知らない人間だった。つねに弱い者、悩んでいる者への同情に心を動かされる、深い詩的な感受性の持ち主でもあった。
だが、同時に、主義へのひたすらな献身から一種の狂信者になっており、主義のために必要だと確信したかぎりはどんな恐怖行為でもやってのける人物でもあった。
自分の高い理想主義と日常の屠殺仕事とにはさまれた絶えまない緊張のうちに、神経を張りつめて暮らし、生命力を炎のように燃え尽きさせた感じだっただけに、同志たちからはサヴォナローラ型の風変わりな「革命の聖者」と見られていた。
そうした清廉な性格にたくましい判別力のある知力が結びついていなかったのは、彼の場合不運なことだった。
彼は主義に奉仕しないではいられない人間であり、彼はその主義と自分の選んだ党とを同一視し、やがてはその党とその指導者たちとを同一視するようになった。
この本によると、1926年、レーニン死後の党内闘争の第二幕として起きた、スターリン・ブハーリン連合と、トロツキー、ジノヴィエフ、カーメネフらのいわゆる 「合同反対派」 の争いの中で、彼はスターリンを支持する激烈な演説を党中央委員会で行い、演説が終わって演壇を降りようとしたところで、興奮のあまり心臓麻痺を起こし、「中央委員会が見ている目の前で」 死んだのだそうだ。