やつは敵である。
敵を殺せ。
いきなり物騒な出だしで申し訳ないが、これは超難解なことで有名な未完の小説 『死霊』 の作者 埴谷雄高がちょうど半世紀前に書いた、「政治の中の死」 というエッセーの中の一節である。この言葉のあとに、埴谷は 「いかなる指導者もそれ以上卓抜なことは言い得なかった」 と続けている。
これもまた古い話だが、大江健三郎がどこかで、逮捕された連合赤軍の兵士の一人が、「私はドストエフスキーの 『カラマーゾフの兄弟』 を読みたい。なぜならそこに私たちのことが書いてあるから」 と言ったという話を書いていた。
これはむろん、正しくは 『悪霊』 のことである。人間の自由を証明するために自殺するキリーロフを初めとして、奇々怪々な人物が多数登場する 『悪霊』 の主題の一つは、陰謀的な 「革命組織」 による同志殺しである。これはネチャーエフという実在の人物が起こした事件がモデルであり、ネチャーエフの言葉としては 「革命家とは予め死刑を宣告された存在である」 という一文が残されている。
一般に、連合赤軍のリンチ事件というと、森恒夫と永田洋子が起こした山岳ベースでの 「総括」 の名による同志殺しをさすが、実はその前、すなわち連合赤軍が結成される前に、その片割れである日共革命左派・京浜安保共闘を名乗るグループが、千葉の印旛沼で二名の 「同志」 を逃亡を図ったという 「罪名」 で処刑している。
このことを、組織統合後に革左の指導者だった永田洋子から聞かされた森恒夫は強い衝撃を受け、その結果、赤軍派の指導者として革左に負けてはいられないという対抗意識からか、「共産主義化論」 なるものを編み出し、組織内の粛清とリンチへと進んだのではないかという見方もある。
反日嫌米戦線「狼」という、いささかどん引きしそうな名前のブログを開いている 「死ぬのはやつらだ」 氏によれば、浅間山荘事件の直前に、近くの軽井沢駅で逮捕されて20年の刑を宣告され、ちょうど10年前に出所した植垣康博氏は、逮捕の翌年の正月に拘置所で自殺した森恒夫について、「他人の欠点を探し出す天才だった」 と語っているそうだ。
森はもともと一時期赤軍派の活動から離れていたのを、幹部の相継ぐ逮捕で指導部の層が薄くなったために、請われて活動に復帰したそうだが、その一時的な 「脱走」 という過去が一種のコンプレックスとなって、彼をその過去を知る古参幹部の排撃と、より過激な武闘路線へと走らせたのかもしれない。
森恒夫に限らず、植垣氏が言うような指導者というのはたしかに存在する。スターリンもそうだろうし、かの麻原彰晃もそうだろう。スターリンの場合は国家の指導者だから規模が全然違うが、一般にはその手の指導者というものは、組織の下部成員に対して事細かで、しかもいささか気まぐれな批判を行うことで、組織内に恐怖政治を敷いて組織を統制し、下部メンバーを自分の言うがままに動くただのロボットにしてしまう。
ネチャーエフが同志殺しを行ったのも、麻原が富士山麓のサティアンで秘密のうちに信者殺しを行ったのも、ひょっとするとたんなる 「粛清」 だけでなく、メンバーらを陰惨な 「悪」 に加担させて共通の秘密を持たせることで、もはや引き返せない状況に追い込み、それによって組織の求心力を高めるという目的もあったのかもしれない。
植垣氏はもともと弘前大の出身だが、「長征」 と称して組織再建のための全国行脚をやっていた赤軍派のオルグを受けて、赤軍派に加盟したのだそうだ。その後、組織の資金作りのために数人であちらこちらの郵便局や銀行を襲った、いわゆる 「M作戦」 にも参加している。
学生の頃、ずっと上の先輩から聞いた話によれば、わが母校にやってきた赤軍派のオルグは銃を構え指で引金を引くまねをして、「これからの闘争は、君たちこれだよ」 みたいな大法螺をふいたそうだ。おそらく、当時の植垣氏の心境は、「見る前に跳べ」 とでもいうようなものだったのだろう。
連合赤軍事件にいたる闘争の過程で 「運悪く」 逮捕された者は、その結果 「同志殺し」 という大罪を犯すことから 「運よく」 免れ、逆に最後まで 「運よく」 逮捕を免れた者は、結果的に 「同志殺し」 という大罪を 「運悪く」 犯すことになってしまった。
すでに亡くなった作家の中上健次も、当時赤軍派からオルグを受けたというようなことを書いていたが、同時代の若者らにとっては、ほんのちょっとした決断や判断の差や、あるいはただの偶然だとかによって、その結果には大きな違いが生まれることになった。「人間 万事塞翁が馬」 という言葉もあるように、なにが良くて、なにが悪いかなど、あとになってみなければ分からないこともある。
熱気に満ちた時代というものは、それにわずかに乗り遅れた者らによって、しばしば憧憬の対象とされ、過度に理想化されがちである。しかし、あのような熱気にうなされたような時代にもし立ち会っていたなら、はたして自分が 「同志殺し」 や 「内ゲバ」 の当事者にならなかったなどという保証などどこにもありはしない。「時代」 の恐ろしさとは、そういうものなのだ。
ところで、森恒夫や永田洋子がやったような 「批判」 とは、言うまでもなく指導部の権威を振りかざした、上から下に向かってのみ行われるものであって、下から上に向かっての批判が行われることはありえない。また、そのような組織内での 「議論」 というものは、あくまでも指導部とその方針の正しさを前提としたものであって、指導部の 「正しさ」 自体を疑うことは許されない。
そういう意味で、そのような 「批判」 や 「議論」 などというものは、政治党派やカルト教団のような閉じた組織内で、ただ組織の統制と締め付けのためにのみ行われる、偽りの 「批判」 であり 「議論」 なのであって、本来の意味における自由で開かれた批判活動や議論とはまったく別物なのである。
その決定的な違いは、議論において外部が意識されているかいないか、外部に向かって開いているか閉じているか、また、そこにけっして疑ってはならないドグマやタブーが存在しているかいないか、ということにある。