今年も早いもので、すでに11月となってしまった。余すところわずかに二ヶ月である。ようやく秋も深まり、北国や山の中ではすでに冬がすぐそこに来ているようだ。ところで、秋の代表的な童謡といえば、たぶん次の二つがもっとも有名だろう。
「もずが枯れ木で」 が発表されたのは、まだ日中戦争が本格化する前の昭和10年、一方の「里の秋」はといえば、戦前に発表されたもともとの詞を一部書き換えたうえで、曲がつけられて発表されたのが、敗戦間もない昭和20年の12月だという。
もずが枯れ木で
【作詞】サトウ ハチロー 【作曲】徳富 繁
1.もずが枯木で鳴いている
おいらは藁を たたいてる
綿びき車は おばあさん
コットン水車も 廻ってる
2.みんな去年と 同じだよ
けれども足んねえ ものがある
兄さの薪割る 音がねえ
バッサリ薪割る 音がねえ
3.兄さは満州に いっただよ
鉄砲が涙で 光っただ
もずよ寒いと 鳴くがよい
兄さはもっと 寒いだろ
里の秋
【作詞】斎藤信夫 【作曲】海沼 実
1.静かな 静かな 里の秋
お背戸に 木の実の落ちる夜は
ああ 母さんとただ二人
クリの実 煮てます いろりばた
2.あかるい あかるい 星の空
なきなき夜がもの 渡る夜は
ああ 父さんの あのえがお
クリの実 たべては 思い出す
3.さよなら さよなら やしの島
おふねにゆられて 帰られる
ああ 父さんよ ごぶじでと
こんやも 母さんと 祈ります
この 「里の秋」 の詞は、もともと 「星月夜」 という題で、太平洋戦争が勃発してすぐの昭和16年に発表された詞を一部書き換えたものであり、その三番と四番は次のようなものだったという。
3. きれいな きれいな 椰子の島
しっかり護って下さいと
ああ 父さんの ご武運を
今夜も 一人で 祈ります
4.大きく 大きく なったなら
兵隊さんだよ うれしいな
ねえ 母さんよ 僕だって
必ず お国を護ります
二つの歌の後半の歌詞を表面的に比べるならば、一方は厭戦的な気分を込めた 「反戦歌」 であり、一方はお国のために戦うことを称揚し、子供らに皇国の兵となることを求めた歌ということになるのかもしれない。だが、はたしてこの二つの歌に流れている感性に、それほどの違いはあるだろうか。どちらも、田舎の秋の自然と、そこで夜を過ごしている家族の情景が描かれている。
その違いをあえて探すとすれば、ただの素人である斎藤が描く 「家族」 がいささかおままごと風にきれいにまとまりすぎているのに比べ、サトウハチローの詞のほうは、さすがにプロだけあって、貧しい農家の暮らしがいくらかリアルに描かれているという程度にすぎない。
だからこそ、当初は 「星月夜」 という題で童謡雑誌に掲載されたという斎藤のもとの詞は、その三番を父親無事な復員を祈る詞に差し替え、四番は封印し、題名も 「里の秋」 に変えることで、父親を待ちながら、田舎の静かな夜を囲炉裏端で過ごす親子の歌として、戦後に蘇ることも可能だったのだろう。
伝統的な自然観や家族意識をそのまま引きずった素朴な感性は、たしかにその時代の庶民の意識にもっとも訴えかける力がある。なぜなら、そのような素朴な感性は、もっとも広範な大衆にとって、同調しやすく受け入れやすいものだからだ。
だが、そのような素朴な感性のみでは、時代の 「政治」 や 「国家」 の水準にまで到達することはできない。もしも、そのような素朴な感性のみで、「政治的国家」 という、いわば 「天上の世界」 にかかわる問題を扱おうとするなら、それはときには簡単に、一過的な時代の空気と流れに押し流され、飲み込まれてしまうだろう。
事実、サトーも戦争が本格化するにつれて、古賀政男と組んでアメリカの空襲に対する報復を歌った 「敵の炎」 など、いくつかの激越な軍歌を作っているという。「感性」 はむろんすべての人間の行為の基礎である。だが、いつの時代であっても、たんなる素朴な 「感性」 だけでは抵抗の砦にはならない。