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カテゴリ:社会
報道によれば、師走恒例となったその年の世相を漢字1字で表す 「今年の漢字」 で、今年は 「変」 が選ばれたそうだ。そのニュースを聞いて、思わずそうだ、そうだ、今年は 「変」 な事件が多かったし、「変」 な人も多かった、なによりもまず、現在の総理大臣が 「変」 な人である、と思って膝をたたいだのが、話をよく聞いてみると、どうもそういうことではなかった。 なんといっても、今年は南部陽一郎氏と小林誠氏、それに益川敏英氏と、一挙に三人ものノーベル物理学賞者が誕生したのだから。そういう投稿をした人は、あまりいなかったのだろうか。 (もっとも正確に言うと、南部博士は40年近く前に、アメリカ国籍を取っているので、法律的には米国人ということになるらしいが) しかし、師走だというのに、巷はさんざんな不景気らしい。麻生首相は、内閣で出しているメールマガジンの中で、「今 世界は、「百年に一度」 とも呼ばれる金融危機の中にあります。」 と言ったそうだが、「百年に一度」 というと、あの世界恐慌からもまだ80年しか経っていないわけで、ということは、今回の不況はそれを上回るか、でなくとも少なくとも同程度という話になる。 さて、そういう経済危機というのは、いろいろなところへと波及するものであり、企業の接待費などの経費削減のあおりで、タクシー業界や料亭、飲食業などの風俗営業関係もたいへんのようだ。そういう影響というのは、わが家が飯の種としている実務翻訳業界にもどうやら押し寄せてきているようであり、最近ちょっと仕事が減ってきているような気がする。 もっとも、暇ができれば、長年書棚に備蓄・保存してきた活字の山を少しは減らすこともできるのだが、次の仕事の依頼はいったいいつ来るのだろうとか、このままどこからも仕事の声が掛からなかったらどうしようか、などと考えていると、読書にも身が入らず、ぜんぜんページが先に進まない。小人というものは、これだから困るのである。 ところで、昔 現代思潮社から出ていたオレンジ色の表紙の選集に収められていた、ローザ・ルクセンブルクの 『社会改良か革命か』 の中にこんな一節がある。この論文は、マルクスの弟子であったベルンシュタインという人が発表した著書 『社会主義の諸前提』 を批判したものであり、ベルンシュタインというと、かつては正統マルクス主義に対する 「修正主義者」 の代表のように言われた人であるが、その話をしだすと面倒なので、そこは割愛する。
むろん、恐慌における信用の役割を指摘しているのは彼女だけではないだろうし、これがとりたてて独創的な見解というわけでもないだろう。100年も前にローザが言ったことのすべてが、現代社会にそのまま当てはまるわけがないことも当然である。だが、こういうところを読むと、資本主義経済というものの本質的な部分は、今も昔もやっぱりたいして変わっていないのだなと、あらためて感じさせられる。 最近、たまたまテレビの地元ニュースを見ていたら、昔知っていた人が映っていた (別に悪いことをしたわけではない。ある団体の代表を務めている人である)。30年ぶりに顔を見たのだが、頭の上のほうが筆舌に尽くしがたいほど悲惨なことになっていた。あまりのことに、思わず心の中で、おいたわしや、と呟いたのだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.12.22 22:08:28
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