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カテゴリ:歴史その他
ちょっと前の話になるが、内田樹さんがオバマ新大統領の就任演説に触れてこんなことを書いていた。(参照) オバマ大統領のスピーチには、「アメリカはこうだが、ロシア(中国、EU、イスラム諸国などなど)はこうである」という水平方向の比較から「アメリカの進むべき道」 を導くという論理操作が見られない。
その 「自由の女神」 の台座には、「疲れし者 貧しき者 重荷を解いて 休みなさい 故郷を追われし哀れな者 すべては私に委ねなさい 黄金の扉のそばで、私は光を掲げよう!」 という詩句が刻まれているという。(参照) メイフラワー号による清教徒の移民以来、多くの人がアメリカにやってきた。ある者は 「革命」 から逃れ、または 「革命」 の敗北による弾圧から逃れるために、またある者は 「戦争」 や民族的な 「迫害」、「貧苦」 から逃れるために。 1848年のドイツ三月革命が敗北すると、多くのドイツ人が海を渡った。その一人であるカール・シュルツは、のちにリンカーン大統領の下で国務長官を務めたという。1917年のロシア革命でも、多くの亡命者がアメリカに渡った。レーニンに権力を奪われたケレンスキーもまた最終的にアメリカにわたり、なんと1970年まで生きていたそうである。むろん、ナチによるユダヤ人弾圧と欧州の戦火から逃れるためにも、多くの人が海を渡った。 たしかに、アメリカはひとつの社会であり国家である。移民の世代がすすめば、やがて彼らは故国の人々とは異なる 「アメリカ人」 になっていくだろう。アメリカに代々住む黒人もまた、アフリカの黒人と同じではない。しかし、それでも移民たちはみな、自分たちの故国の文化と歴史を背負ってやってくるのであり、それはそう簡単に消失するようなものではない。 その意味では、国家としてのアメリカの歴史の短さなどを言い立てることにたいした意味はない。たしかに 「アメリカ的」 なるものはあるかもしれない。とはいえ、ただひとつの 「アメリカ人」 などは、どこにも存在してはいない。 「国家」 としてのアメリカはたしかにひとつである。だが、アメリカ人はひとつではない。また、東部や西部の大都市圏だけがアメリカなわけでもない。そういった地域がアメリカの政治や経済に対して大きな影響力を持っているのは事実だろうが、だからといって、そこに住む少数の特別の人々の意思や利害だけで、アメリカの政治が動かされているわけでもあるまい。 戦後世界で一方の覇権を握り、ソビエト崩壊後は唯一の 「超大国」 として世界に君臨してきたアメリカの行動を批判することは、ある意味でたやすいことだ。むろんCIAによる各地での破壊活動や、退陣したブッシュ政権による、国際世論を無視した 「単独主義」 的な行動が非難に値するものであることは言うまでもない。 だが、現代において他を圧倒する国力を有するアメリカは、良くも悪くも、また自ら望もうと望むまいと、世界に対して責任を負わざるを得ず、またそれを果たさざるを得ない。むろん、その責任の果たし方は、ひとつの問題たりうることだ。しかし、アメリカがいまなお 「ひとつの世界」 であるとしても、もはや 「旧世界」 から隔絶したモンロー主義の時代になど戻れないのは自明のことであり、そのことを無視した批判は意味をなさない。 アメリカがイスラエルを一貫して支持している背景には、むろん国際政治上の思惑や国内における種々の勢力の存在など、いろいろな要因が存在するだろう。だが、そこには先日なくなったポール・ニューマンが主演した映画 『栄光への脱出』 に描かれたような、移住による 「理想国家」 建設というイスラエル 「建国」 の物語が、移民国家としては大先輩にあたるアメリカのナショナル・ヒストリーと重なる部分があるというのも、もしかするとひとつの要因なのかもしれない。 二日と二晩、列車は走りつづけた。いまやっとカールにも、アメリカの広大さがわかってきた。飽きることなく彼は窓から外を眺めた。そのあいだ、ジャコモもいっしょに窓の方へ体をのりだしていたものだから、トランプに熱中していた、向かいの席の若者たちは、やがて遊びにも飽いてしまうと、自分たちの方からすすんで、窓際の席をジャコモにゆずってくれた。カールは彼らに礼を言った。ジャコモの英語ときたら、まだ相手によっては聞き取りにくかったからだ。…… フランツ・カフカ 『アメリカ』 より むろん、カフカはアメリカを訪れたことはない。チェコのプラハ(当時はまだオーストリア帝国領だったが)に住んでいた彼が、けっして長くはない生涯の中で訪れたことがあるのは、せいぜいドイツやフランス、北イタリアなど、いわば彼の国の周辺地にすぎない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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