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カテゴリ:社会

 今日は、こちらはなかなかいい天気だった。それで、家の中にこもって仕事をしているのがもったいなくなり、途中で切り上げて散歩に出た。行く先は、もちろん家からやや歩いたところにあるBook Offである。

 いつものように100円コーナーを眺めていると、沢木耕太郎の 『天涯』 と題した写真集の1巻と2巻、それに 『象が空を』 というエッセー集が並んでいた。ノンフィクション作家としての沢木については知っていたが、写真集も出していたのは知らなかった。『東京漂流』 の藤原新也は沢木よりわずかに上だが、沢木は、写真家として出発し、のちにエッセーでも注目されるようになった藤原とは、ちょうど反対の道を歩んでいるということになる。

 沢木の単行本がBook Offに三冊も並ぶのは珍しいことだ。なので、同じ人が出したのかもしれない。写真集をひっくり返して定価を見たら3200円とある。三冊あわせれば、定価は8000円を超える。どういう事情があったのかは知らないが、売った人も断腸の思いで手放したのだろう。どこの誰かは知らないが、いささか同情したくもなった。

 ただし、10年前の出版で、その後の保管が悪かったのか、写真集にはやや湿気がきており、ページが一部べったりとくっついているところもある。もっとも、写真自体には変色や退色は見られない。

 ページをめくると、サハラ砂漠やポルトガルかどこかの石のマリア像の写真など、心惹かれるものもあり、ところどころに挿入された短い紀行文や、引用の類もぴたりと決まっている。いったんは買おうと思って棚から取り出したのだが、結局エッセー集のほうだけ買うことにした。

 むろん、三冊とも買っても税込み315円にしかならないのだから、金が惜しかったわけではない(嘘ではない)。ただ、写真集のほうはちょっとでかくて重かったのだ。手に提げててくてく帰るのも大変だし、なによりもう書棚に空きがない。そういうわけで、泣く泣くエッセー集のほうだけ買って帰ったのだが、今度行ってまだあったら、次は買うかもしれない。

 さて、昨日の韓国戦では惜しくも1対0で負けてしまったが、原監督が率いる日本チームはアジア予選を二位で通過し、二次ラウンド出場が決まったそうだ。こう見えても、「愛国心」 がまったくないわけではなく、顔も名前も知らない外国のチームよりは、それなりに馴染みのある選手のいるわがチームには、やっぱり頑張ってもらいたいものである。

 しかし、こういう国際試合のたびに思うのだが、アナウンサーが日本チーム応援のたびに、やたらと 「サムライ」 なんて言葉を連発するのにはいささか閉口する。なんでも、今のチームの愛称が 「サムライ・ジャパン」 なのだそうだが、いったいどこの誰が、そんな陳腐で漫画チックな名前を思いついたのだろう。

 そもそも、日本といえば条件反射のごとく 「サムライ、ハラキリ」 だの、「フジヤマ、ゲイシャ」 だのといった言葉を連想するのは、かつてはよくあった日本に対する欧米人らのステレオタイプな典型的反応である。外国の教科書に、日本の紹介としてちょんまげ頭に袴をはき、刀をさしたサムライの絵が載っていたのだって、そんなに昔の話ではない。

 日本といえばサムライと答える、そういう安直な発想というのは、ようするに、そのような欧米人の日本を見る目をそのまま逆輸入したものにすぎないのではないだろうか。それは、言い換えるなら、肝心要のわれわれ日本人自身の日本を見る目が、そういう欧米的なエキゾチシズム満載のオリエンタリズム的視線と、いまや同一化している証ではないかということだ。

 つまるところ、それはわれわれ現代人の大多数にとって、日本というこの国の歴史と過去が、いまや欧米人にとってのものと大差ない、ハリウッド的なエキゾチシズムの対象になりはてているということではないだろうか。

 成人の日になると、毎年、テレビには羽織袴を着て暴れまわる若者の姿が映し出される。別にけなすわけではないが、彼らにはその衣装が、日本の古式ゆかしき 「民族衣装」 である、などという意識はこれっぽっちもないだろう。大学の卒業式に女子学生が振袖を着ていくのも、文金高島田を結った花嫁と羽織袴の花婿が神前結婚式を執り行うのも、似たようなものだろう。

 ヨーロッパの近代は、それが自生的で内発的なものであるがゆえに、そこにはかえって古典古代や中世以来の歴史が色濃く根付いている。一度も行ったことなどない人間が言うのもなんだが、そこでは、近代以前と近代以降はけっして切れた歴史なのではない。

 むろん、彼らの生活もまた、現代の科学技術と機械文明によって大きく変貌してはいるだろう。しかし、現代的な都会の中に古代の遺跡や中世の建築が共存し、あるいはところによっては、数百年前の街並みがそのまま丸ごと残され、そこで現に生活が営まれているというのは、たんに観光客目当てというだけではなかろうし、向こうの建築文化が、木と紙を使う日本と違って、石という恒久的素材を使用しているからというだけでもあるまい。

 それに比べ、幕末=明治と昭和の敗戦という二度の 「開国」 をへた日本の近代は、それまでの歴史との二度の暴力的な切断によって生成されたものだ。むろん、政治的な意味で言うなら、そこには 「切断」 だけでなく 「連続」 という側面もある。しかし、社会的・文化的に大きな 「切断」 が生じたことは否定できないし、その後の変貌もまた、すさまじいものだ。

 その結果、高度経済成長後に育った世代にとっては、戦前の社会とそこに生きていた人々の生活感覚すら、いまやほとんど実感できない。テレビもケータイも、冷蔵庫も洗濯機もない生活など、想像もできまい。まして、明治以前の社会については、まさに 「異国」 同様といっても過言ではあるまい。

 その二度の 「開国」 によって、この国の歴史は大きな断絶を余儀なくされた。おそらくは、そういう外部からの強制による歴史の断絶が、一方では、この国において、いまだ根深い西欧コンプレックスをどこかに抱えた知識人の中から、ロマン主義的な憧憬による失われた 「過去」 の幻想的美化へと走る、狂信的で妄想家じみた 「ナショナリスト」 が定期的に生まれてくる根拠なのかもしれない。

 それが、たとえば昭和の経済危機の中では 「超国家主義」 という逆流をうみ、そして現代においては、西尾幹二のように、かつてはニーチェ研究者としてそれなりの業績をあげたはずの者が、年をへ年齢を重ねるに従い、ほとんど妄想じみた狂信家に成り果てるという喜劇を生んでいるのだろう。


 『諸君!』3月号の拙論「米国の覇権と東京裁判史観が崩れ去るとき」はこの時代の転換について論説した。『WiLL』4月号の「いまこそ『昭和史』と戦おう」と『諸君!』4月号の秦郁彦氏との対論はこれを承け、さらに思想的に発展させている。


 同時に私たちがこれから相手として戦わなければならない今の時代の典型的な「進歩的文化人」は、半藤一利、保阪正康、北岡伸一、五百旗頭眞、秦郁彦の諸氏であることを、『WiLL』4月号で宣言しておいた。

 4月号のこの両誌の私の発言は、時代の転換に対する一つの里程標になるものと信じて疑わない。  (参照)


 自分のブログで、このようにアジっている西尾の姿は、まるで、歴史家の津田左右吉や憲法学者の美濃部達吉のように、文化的にリベラルな学者ではあっても、その心情においては生粋の尊皇家であった者らをも、「国体」 に反する非国民として弾劾してまわった蓑田胸喜にそっくりである。むろん、二度目は滑稽なだけの、ただの 「喜劇」 にしかなるまいが。






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Last updated  2009.03.11 12:24:33
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