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カテゴリ:歴史その他

 阿弥陀様弥勒様がどう違うかというと、まずは阿弥陀様は如来であり、弥勒様は菩薩であるということになる。如来とはすでに悟りを開いた仏のことであり、お釈迦様のほかにも、大日如来や薬師如来などがいる。ようするに、数ある仏様の中でも最高に偉い仏様のことである。

 いっぽう、菩薩のほうは、本来まだ悟りに達していない修行中の行者を指す言葉であったのが、やがてすでに悟りの境地に達しているにもかかわらず、われわれ悩める大衆を救済するために、仏陀となることを自らの意思で停止し、この世に留まることを選んだ仏をも意味するようになった。

 つまり、菩薩とはおのれ一人の成仏よりも、現世の中で悩み苦しむ多くの庶民を救済することを優先させたという、たいへんに責任感が強く、また慈愛に満ちた方々なのである。なので、まだ成仏していない菩薩様は、すでに成仏した如来様よりほんらい一ランク下であるにもかかわらず、昔から下々の民にたいへん親しまれてきた。

 道端に立つ、かわいらしい姿の地蔵様もそうである。なにしろ地蔵様ときたら、子供たちに縄で縛られて引きずりまわされても、けっして怒らない。それどころか、地蔵様になにをするかと子供を叱った人の夢枕に立って、「せっかく遊んでいたのに、なんで邪魔をした」 と叱り飛ばしたという話もあるくらいだ。

 阿弥陀様は、念仏で 「南無阿弥陀仏」 と唱えるくらいだから、浄土真宗などの浄土系仏教では、最もありがたい仏ということになっている。ようするに、「一切の衆生救済」 という願いをたてた、無限の慈悲を持つ阿弥陀様のお力にすがることで、われわれ愚かなる人間も救われるということだろう。「無量寿経」 や 「観無量寿経」 とともに、「浄土三部経」 と呼ばれている 「阿弥陀経」 では、お釈迦様が大勢の弟子を集めて、こう説いたとされている。

そのとき、仏、長老舎利弗に告げたまはく。「これより西方に、十万億の仏土を過ぎて世界あり、名づけて極楽といふ。その土に仏まします、阿弥陀と号す。いま現にましまして法を説きたまふ。

舎利弗、かの土をなんがゆゑぞ名づけて極楽とする。その国の衆生、もろもろの苦あることなく、ただもろもろの楽を受く。ゆゑに極楽と名づく。」


 いっぽう、弥勒様は、なんと56億7000万年後にこの世に現れて、大衆を救済するのだそうだ。もっとも、このとてつもない数字というのは、弥勒様は 「兜率天」 で4000年を過ごし、しかもそこの一日は地上での400年にあたるなどという、いろいろとややこしい計算によるもので、経典自体にそう書いてあるわけではないらしい。

 社会が乱れ 「末法思想」 が流行した平安末頃には、この遠い未来に現れて大衆を救済するという、弥勒菩薩に対する信仰も盛んだったが、やがて 「西方浄土」 に現におわしますライバルの阿弥陀様に押されて、正規の仏教信仰としては衰退してゆく。

 たしかに、56億7000万年は待つにはちと長すぎる。とはいえ、それ以降も、弥勒信仰は民間宗教化しながら、いろいろな形で生きながらえ、ときには 「世直し一揆」 などにも影響を与えたりもしたという。実際に、中国では、弥勒を信仰した白蓮教徒による大規模な反乱も、元の末期や清の時代などに起きている。

 ただし、いずれも、いわゆる 「大乗仏教」 に属する経典にでてくる話であり、実際にシャカが説いた教えとは直接の関係はない。阿弥陀様も弥勒様も、広大無限なる 「慈悲」 によって、悩み苦しむ現世の大衆を救済するという点ではよく似ており、どちらについても、イランで生まれたゾロアスター教やミトラ教などの、「一神教」 的性格の強い 「救済宗教」 の影響が指摘されている。

 いつの時代でも、貧病苦などの現実の苦しみから逃れられない人間が求める 「救済」 とは、なによりもこの世における 「救済」 なのであって、ただの 「魂の平安」 やわけの分からぬ 「来世の救済」 などではない。ユダヤの神ヤーヴェがノアに約束したのは、地上を彼の子孫で満たすことだし、アブラハムに約束したのは、カナンという 「乳と蜜の流れる約束の地」 であって、いずれも 「来世」 や 「天上」 における救済などという空手形ではない。

 池田信夫という人は、「古代ユダヤ教が故郷をもたないユダヤ人に信じられたのも、ウェーバーが指摘したように「救いは地上ではなく天上にある」という徹底した現世否定的な性格のゆえだった」 と書いているが、世界の終末を経て現れる 「神の国」 とは、「天上」 ではなくこの 「地上」 に現れるものとされたからこそ、信者に対して強烈な力を及ぼしたのではあるまいか。

 たしかに、その救いは天上の神によってもたらされるものだが、それがもたらされるのは、つねに 「現世」 であるこの 「地上」 においてであって、どこにあるやともしれぬ 「来世」 や 「天上」 においてではない。

 むろん、それは原始キリスト教でも同じであり、「ヨハネ黙示録」 に描かれた 「世界の終末」 とは、地上の帝国たるローマが滅びて、彼らの待ち望む 「神の国」 がまもなく現実のものとなることへの期待を託したものである。そのような、遠くない未来への期待があったればこそ、彼らは様々な弾圧を耐え忍ぶこともできたのだろう。

 だが、キリスト教が世俗的な権力と一体化し、あるいは自ら世俗的権力となったとき、そのような 「ユートピア」 的思想は異端視され、救済は 「現世」 ではなく、「来世」 におけるものとされることとなった。「世界の終わり」 によって現れるとされた 「神の国」 もまた、すでに教会という形で地上に存在しているものとされ、原始キリスト教が帯びていた 「終末論」 的色彩は危険なものとして否定され、拭い去られることとなった。

 洋の東西を問わず、宗教的な 「終末論」 に含まれた 「現世否定」 とは、いまこの地上に存在する現実に対する徹底的な否定のことであり、それは 「天上」 における救済と同じではない。たしかに、しばしばそこには不老不死などのような、現実離れした空想が含まれることもあるが、それもまた始皇帝らがとりつかれたような、昔からある世俗的な人間の夢のひとつにすぎない。

 「ユートピア」 とは、いうまでもなくトマス・モアの同名の著書に発する、「どこにもない場所」 という意味の造語である。しかし、歴史においてしばしば 「ユートピア」 思想が大きな影響力を持ったのは、それが、たんなる暇人の空想ではなく、そのような今はまだ 「どこにもない場所」 がすぐそこに迫っていると夢想され、あるいは、ときには神の意思など待たずに、自らの力で 「今・ここ」 において現実化させようという強烈な希求力を人々に与えたからでもある。

 モアの 『ユートピア』 と並ぶユートピアの書である 『太陽の都』 を書いたイタリアの人カンパネッラは、地動説を説いて破門されかけたガリレオや、宇宙の無限を説いて焼き殺されたブルーノと同時代の人だが、70年の生涯のうち半分に近い30年近くを獄中で過ごしたという。それは、かの 「陰謀の人」 ブランキに優るとも劣らぬ大記録である。

 彼もまた、そのような 「ユートピア」 がすぐそこに迫っており、現実化が可能だと考えたからこそ、激しい拷問と長い幽閉に耐え、ときには狂人のふりをするといった手練手管をも使いながら、ソクラテスのように従容として死を受け入れるのではなく、恥も外聞も気にせずに、ただひたすら生き延びるということを優先させたのだろう。

 最後は、またまた出だしとはえらくかけ離れた話になってしまったが、タイトルはそのままにしておく。そうそう、草なぎ君の例の 「事件」 については、何人かが非難めいたことを言っていたが、そのほとんどは 「お前が言うなー」 という類のものであった。鳩山大臣もテリー伊藤も、いったいどの口で言うとしか言いようがない。






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Last updated  2009.04.27 23:37:01
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