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カテゴリ:歴史その他

 昨日はえらい寒く、予報ではこちらも雪といわれていたが、起きてみれば天気もよく比較的暖かだった。もっとも、一日家にこもっていてどこにも行かなかった。「初詣」 などというものには、とんと縁がない。別に「迷信」 だからというわけではなく、たんに人ごみが嫌いというだけのことだが。

 正月とは新しい年の始まりだが、時間は物理的な延長のように目に見えるものでも、手で触れるものでもない。人が時間を実感するのは変化によってであり、その時間を区切ることが可能なのは、時間が円環的に進行するからである。時間が直線的にしか進行しなければ、そこに区切りを持ち込むこと、言い換えるなら時間の進行を単位によって計測し、それによって時間の経過を明確に意識することも不可能だっただろう。

 つまり、われわれにとっての時間とは、生物の世代交代と同じように、死と再生を繰り返すということだ。日没とは太陽の死であり、日の出は太陽の再生である。そして、それは新たな一日の誕生でもある。同様に、大晦日とは古い年を埋葬する日であり、正月とは新しい年の誕生を祝う日のことである。これを神話的に言えば、「死」 と 「再生」 の物語ということになる。

 たとえば、ルーマニア出身の宗教学者であるエリアーデは、『聖と俗』 という著書の中でこんなことを言っている。

 これらのすべての事実がもつ意味を要約すれば次のようになると思われる。古代文化の宗教的人間にとって世界は年ごとに更新される。世界は新しい年がくるたびにその原初の神聖性を取り戻す。すなわち、再びかつて創造主の手を離れたときのようになるのである。...

 時間が再生し、新たに始まるゆえんは、新年のたびごとに世界が新しく創造されたからである。宇宙創造の神話があらゆる種類の創造、建築の典型としていかに大きな意味を持つかはすでに前章に見たとおりである。今やわれわれはそれにつけくわえて、宇宙創造の中には時間の創造もまた含まれている。

 つまるところ、正月が新たな年の再生であるとすれば、それを遡れば、宇宙の創造にまでたどりつく。だから、宇宙起源神話は同時に時間起源の神話でもある。時間を支配するものは宇宙を支配するものであり、その逆もいえる。実際、王や皇帝が人々を支配していた時代には、年はその治世をもって数えられた。洋の東西を問わず、それはどこの国をとってもかわらない。

 さらにまた、新たな暦の制定とは、時間そのものの創造であり、新たな歴史の誕生を意味する。西暦がイエスの誕生した年を紀元とし(実際には少しずれているが)、イスラム暦がその開祖たるムハンマドらのメッカ退去の年を紀元としているのは、そのような事件によって、まったく新たな歴史が開かれたということを意味している。それは、それまでの時間の流れとその後の時間を切断することであり、神によって祝福された時間の開始を告げることでもある。

 同様のことは、政治的な革命や建国の場合にもしばしば見られる。たとえば、フランス革命では、それまでのグレゴリオ暦にかわる革命暦が採用された。ジャコバン派の独裁が覆された事件は、「テルミドールの反動」 と呼ばれるが、テルミドールとは「熱月」という意味で、7月から8月にかけて。また、ナポレオンが権力を握ったのはブリュメール(霜月)で、10月から11月にあたる。

 むろん、グレゴリオ暦が嫌われたのには、それがローマ教会に起源を持つという理由もあっただろう。また、「理性」 を崇拝するロベスピエールらにとって、時間が不均一な暦は 「理性」 に反する不合理なものに見えたのかもしれない。実際、革命暦では一月を一律に30日とするだけでなく、週=10日、一日=10時間、一時間=100分、一分=100秒というきわめて 「合理的」 な10進法まで採用されたということだ。

 ところで、Wikipediaによれば、旧ソ連でも一時期ソビエト暦なる特殊な暦が使われていたらしい。恥ずかしながら、これは全然知らなかった。始まりは、レーニン死去から5年後の1929年。一月をすべて30日として、あまった五日間をすべて休日にするとか、7曜制を廃止するなど、フランス革命暦と非常に似ている。ただし、休日を年末にまとめていたフランス革命暦に対して、ソビエト暦では休日が月の合間に挟まっているのが少し違う。

 その前年の28年には、トロツキーは国外追放処分を受けていた。その直後、今度は農民を擁護したブハーリンが、「右翼的偏向」 の名の下に失脚する。いわゆる 「大粛清」 はまだ先の話だが、スターリンはこの時期、すでにほとんどの政敵を追い落とし、ほぼ独裁に近い権力を握っていた。

 その結果、スターリンは国家の工業化と近代化を旗印にした、強引な農業集団化と五ヵ年計画をスタートさせる。赤軍を動員して行なわれた集団化の実態がどのようなものだったかは、いまさら言うまでもないだろう。農地を採り上げられて自暴自棄になった農民は、土地の耕作を放棄し、数年後には大量の餓死者が発生することになる。

 そのような状況下での、ソビエトのみに通用する暦の採用は、ソビエトを世界の他の地域とは違う、特別な時間が支配する特別な地域、つまりは 「革命の聖地」、「地上の天国」 として聖別化することにほかならない。それは、トロツキーに対抗して、「一国社会主義」 をぶちあげたスターリンの政治路線とも合致する。ちなみに、現在の階段ピラミッドのような石造のレーニン廟が作られたのは、翌年の1930年なのだそうだ。

 一国での社会主義建設が可能かどうかという当時の論争には、いささかスコラ的な面もないわけではない。しかし、このような事実は、スターリンにとってこの論争がそもそもたんなる理論の問題ではなく、むしろ革命ロシアを、人類の新たな時代を切り開くという神聖なる使命を有する国として聖別化するという意味があったということを暗示している。そして、それはまた、政治的情熱と宗教的情熱とがときに持つ、強い親近性をも示している。

 もっとも、この暦は不便だという声が強く、月の長さを元の戻すとか、5曜制を6曜制に変更するなど、数回の修正によってしだいにもとのグレゴリオ暦に近づけられ、最終的には第二次大戦勃発後、独ソ戦がはじまる前の年である1940年に廃止され、曜日も万国共通の七曜制に戻されたということだ。






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Last updated  2010.01.02 02:07:57
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